朝から曇りがちで、夜は雨になる予報である。
謡曲の練習の後で、雨が降り出したりする前に歩きに出た。
曇り空で、不思議と川沿いにはアオサギを見かけたくらいで鳥はいなかった。
さて昨日の、平戸ミニ旅行の続きを・・。
(朝の太陽と平戸城のシルエット)
雲の上から朝日が差して、海を金色に染めた。
昨夜のお城のライトアップといい、海と城を一望出来る部屋はやはりいい。
(金色の波間を走る船)
昨日到着した頃は、潮流は左から右だったが今朝は逆に右の平戸大橋の方向から流れている。
すぐ南の西海橋や関門海峡には及ばないものの、ちょっとした川の流れのように見える。
潮流に乗った船は速いが、逆行する船はいつまでも同じ位置からなかなか進めない。
さて、今日の予定は概ね町歩きになるので、街中の駐車場に車を駐めて街中ウオーキング。
(オランダ埠頭と商館(倉庫))
意外と水深が浅かったので、少し沖合に停泊して小舟で荷揚げをしていたのかも・・。
(古い町並み)
今治・宇和島・丹波篠山と、このところ古い町並みを歩くことが多くなった。
通商貿易に関しては、平戸は先進地なので多分昔も賑わっていたことだろう。
(足湯と手湯)
足湯はあちこちで見かけるが、手湯というのは初めてお目に掛かった。
わりと熱めで、ヌルヌルした泉質。
街中の歩道脇には、フランシスコ・ザビエルや三浦按針などの小さなブロンズ像が目立つ。
(平戸ザビエル記念教会)
禁教令が廃止されたあと、彼方こちらに教会が建立されるが、特に平戸・長崎・天草は多い。
神社やお寺が禁教令下では巧みに利用される。
(寺院と教会の見える風景)
珍しい寺院と教会が混在した風景が人気を博し、SNS撮影ポイント。
(三浦按針の墓所)
家康に仕え、三浦と名乗ったくらいだから彼の地で没したものと思っていたら、平戸での病没だった。
ウイリアム・アダムス、数奇な人生だったといえる。
(幸橋(オランダ橋))
港の入り江の一番奥にある。
(平戸港)
現在は平戸大橋の開通で、連絡船の所要が減少したと思われるがそれでも島間のフェリーが発着する。
小さな港だが、この島は遙か世界に向かって目が開いていた場所である。
さて、平戸城へ向かうため一旦車に乗って、城の駐車場へ移動。
(平戸城)
お堀はグルリと天然の海。
(天守閣と石垣)
(天守閣から北東を望む)
こうした風景を見れば、松浦の地が置かれた立場が理解できるような気がする。
倭寇の時代から、大陸や半島への進出やその後の交易を通じて和・洋・漢の文化が花開く。
今回のミニ旅行を通じて、半島や中国からの旅行者が非常に多いのに気がついた。
静かな日本人旅行者と、元気な外国人旅行者のパワーの違いを感じた旅だった。
「外交のカードはいつもきな臭い」・・・しろ猫
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