14日から1泊で、長崎県の平戸にミニ旅行。
同じ九州内というだけで、バタバタしないでのんびり出発。
九州道~長崎道~西九州道を走って3時間くらいで平戸大橋までたどり着いた。
(平戸大橋)
平戸はかなり以前に一度日帰りで訪れたことがある。
その頃はもうこの橋は出来ていたから久し振りである。
(平戸大橋から平戸城を望む)
以前訪れた時は、橋の上をさっさと渡ってしまったので、城を見ることもなかった。
今回は時間があるので、橋の袂まで降りてみた。
橋の下に見えたので面白くてパチリ。
この後、宿の位置だけ確認してそのまま「生月島」へ向かって走った。
(生月大橋)
平戸島と生月島を結ぶ生月大橋は、初めて渡った。
生月島はなだらかな草原があるかと思えば断崖が連なったりする変化に富んだ島である。
(断崖がつらなる)
サンセットウエイと名づけられた、西海岸通りは切り立った崖の上を走る。
途中で、動物注意の道路標識に牛が書いてあったのでまさかと思ったら本当に牛に出会った。
(放牧された牛)
柵など明瞭なものがないので、道路に出てくることもあるのだろう。
さらに島の最北端に向かう。
(大バエ灯台)
灯台には展望所が設けられていて、螺旋階段を昇ると360度の眺望が開ける。
(風力発電の風車)
こうした風力発電の風車の林立をみると、半島や島の立ち位置が見えてくる。
再び生月大橋を渡って、平戸島に戻る道の途中から世界遺産の集落の方へまわる。
(春日の棚田)
一面の棚田が広がる端に、春日集落がある。
キリシタン禁教令から、禁教令の廃止へと歴史に翻弄された人達が多い島である。
この小高い丘は、キリシタン墓地の跡といわれている。
禁教令が廃止されたあと、元のカトリック教徒へ戻り教会を建て祈りを捧げる人達は沢山居る。
しかし、あえてその道を進まず、弾圧され潜伏しながら続けてきた祈りの形態を敢えて続けようとする人達である。
この丘も、単なる丘ではなく人々が犯すべからざる場所として保全してきたものらしい。
世界文化遺産登録の理由は、潜伏しながら続けられた祈りや生活の形態にある。
禁教令廃止以降に建てられた教会等は、登録の理由にはなっていない。
平戸ミニ旅行の目的の一つは、ここを訪れることだった。
このあと、宿に向かってひた走る。
(ホテルから見た平戸城)
港を挟んだ反対側の丘の中腹にホテルがあって、部屋はその最上階だったので城と同じ高さになった。
予約は山側の部屋だったのだが、ホテルの予約担当者から海側の見晴らしの良い部屋に変わって欲しい旨の電話を受けていた。
安いツインの部屋から、高い広い和室の部屋に変わることになった。
料金は予約のときのままでよい、というのでヤッター感が満載。
(夜間ライトアップされた平戸城)
(遠くに平戸大橋も)
夕食の料理も、少なめにお願いしておいたので丁度適量だった。
旅行の度に折角のダイエット計画が台無しになるからとは相方の弁。
今回は今のところ滑り出しは順調。
疲れたので9時過ぎには寝てしまった。
今日も帰ったばかりで、疲れた状態。
したがって、本日これまで・・。
「立冬やクシャミが三つたてつづけ」・・・しろ猫
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