今日は8月15日、75回目の終戦記念日である。
日本にっとては、忘れてはならない重要な日である。
実は本日は、私たちの結婚記念日でもある。
忘れようにも忘れられない印象的な日を、法的な婚姻の日とした。
形式的な結婚式は4か月ほど後のことである。
戦争を語り継ぐ世代が段々と少なくなっている。
我々は当然実相を知る由もないし、聞く相手も存在しない。
辛うじて、本はその一端を語ってくれる。
(「戦争調査会」井上寿一(著)2017.11講談社(刊))
幻の政府文書を読み解く・・・と副題にあるように、幻で終わった未完の国家プロジェクト。
1945年11月幣原内閣が立ち上げた「戦争調査会」は、日本人による先の大戦の検証作業であったが、1年弱で廃止。
進行中の東京裁判(極東軍事裁判)に影響を及ぼすとのGHQ判断で、未完の国家プロジェクトとなる。
しかし、この時の日本人自身による開戦から敗戦に至る検証が、もし完全になされ、資料も有効に活用されていれば、今とは違った日本になっていた可能性はある。
(「その日の予定」エリック・ヴュイヤール(著)塚原史(訳)2020・6岩波書店(刊))
「いちばん大きなカタストロフ(大変災・大団円・悲劇的結末・破局)は、しばしば小さな足音で近づてくる」
実在の人物ばかりが登場する、事実にもとづく小説とある。
24人の政界・財界・産業界などの要人が、1933年2月ベルリンの郊外で会合する。
にこやかに会合の席に現れたヒトラーは、強い体制を作り難局を乗り切るため次の選挙に勝たねばならないと述べる。
多額の資金協力を得る話から小説は始まる。
英仏が看過した、オーストリアの併合は、以降のナチスの際限のない拡大へと繋がっていく。
そして、敗戦となっていくのが歴史の事実だが、物語の最初に登場し多額の資金協力をした企業は戦後も生き残り、今も現存する。
戦争には、戦争を企画・立案し遂行・指導するグループと、愛国心や狭いナショナリズムや同調圧力に絡めとられたグループが存在する。
さて、あったことを、無かったことには出来ないので、毎年この日だけ掲載する一枚の写真。
焼き場に立つ少年と命名され、アメリカの従軍カメラマンが長崎で撮影したという沢山の写真の中の一枚である。
ドイツの開戦前夜の状況と、日本の調査会の資料、そして一枚の写真。
私たちの年代が、次の世代に伝え得る内容はある程度包含していると思う。
この夕焼けは、地震の数日後すこし心が落ち着いた頃に写したものである。
鮮やかな夕焼けの明日は、明るい朝の太陽が降り注ぐと平時には思ってしまう。
しかし、逃げおおせた地震のあとの夕焼けは、むしろ不気味な明日を暗示しているような色に見えた。
同じ夕焼けを、何処かで見ていた人には平和な夕焼けであったかも知れない。
小さな足音は、温暖化・法令の解釈・差別化などという面倒な形で顕在化しつつある。
個々人として強くあらねばと、つとに思う。
「戦とは父が帰って来ないこと」・・・・しろ猫
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日本にっとては、忘れてはならない重要な日である。
実は本日は、私たちの結婚記念日でもある。
忘れようにも忘れられない印象的な日を、法的な婚姻の日とした。
形式的な結婚式は4か月ほど後のことである。
戦争を語り継ぐ世代が段々と少なくなっている。
我々は当然実相を知る由もないし、聞く相手も存在しない。
辛うじて、本はその一端を語ってくれる。
(「戦争調査会」井上寿一(著)2017.11講談社(刊))
幻の政府文書を読み解く・・・と副題にあるように、幻で終わった未完の国家プロジェクト。
1945年11月幣原内閣が立ち上げた「戦争調査会」は、日本人による先の大戦の検証作業であったが、1年弱で廃止。
進行中の東京裁判(極東軍事裁判)に影響を及ぼすとのGHQ判断で、未完の国家プロジェクトとなる。
しかし、この時の日本人自身による開戦から敗戦に至る検証が、もし完全になされ、資料も有効に活用されていれば、今とは違った日本になっていた可能性はある。
(「その日の予定」エリック・ヴュイヤール(著)塚原史(訳)2020・6岩波書店(刊))
「いちばん大きなカタストロフ(大変災・大団円・悲劇的結末・破局)は、しばしば小さな足音で近づてくる」
実在の人物ばかりが登場する、事実にもとづく小説とある。
24人の政界・財界・産業界などの要人が、1933年2月ベルリンの郊外で会合する。
にこやかに会合の席に現れたヒトラーは、強い体制を作り難局を乗り切るため次の選挙に勝たねばならないと述べる。
多額の資金協力を得る話から小説は始まる。
英仏が看過した、オーストリアの併合は、以降のナチスの際限のない拡大へと繋がっていく。
そして、敗戦となっていくのが歴史の事実だが、物語の最初に登場し多額の資金協力をした企業は戦後も生き残り、今も現存する。
戦争には、戦争を企画・立案し遂行・指導するグループと、愛国心や狭いナショナリズムや同調圧力に絡めとられたグループが存在する。
さて、あったことを、無かったことには出来ないので、毎年この日だけ掲載する一枚の写真。
焼き場に立つ少年と命名され、アメリカの従軍カメラマンが長崎で撮影したという沢山の写真の中の一枚である。
ドイツの開戦前夜の状況と、日本の調査会の資料、そして一枚の写真。
私たちの年代が、次の世代に伝え得る内容はある程度包含していると思う。
この夕焼けは、地震の数日後すこし心が落ち着いた頃に写したものである。
鮮やかな夕焼けの明日は、明るい朝の太陽が降り注ぐと平時には思ってしまう。
しかし、逃げおおせた地震のあとの夕焼けは、むしろ不気味な明日を暗示しているような色に見えた。
同じ夕焼けを、何処かで見ていた人には平和な夕焼けであったかも知れない。
小さな足音は、温暖化・法令の解釈・差別化などという面倒な形で顕在化しつつある。
個々人として強くあらねばと、つとに思う。
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