人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

実存的な愛

2023-07-17 09:57:59 | 
あるブログを読んでいて、“愛というものは抽象概念である“、かのようなことが書かれていて一寸びっくりさせられました。
あらゆる言葉がそうであるように、抽象化され得るものには違いないでしょうが...
私は度々ここで、愛というものは、具体的に感じられるものだ、ということを言って来ました。そうでない愛などあり得るでしょうか?...
それのみならず、ここで重きを置いて語られるもの、神的なもの、霊なるもの、...具体的に感じられないものなど無いと言っても過言ではありません。
それらも愛と同様、容易く抽象的に捉えられてしまうものではあります。
勿論、物事を理解するにあたって抽象概念を用いることも必要ですよ。しかし、それは先験的な感覚あってのものであるのは言うまでもないでしょう。
愛という概念を知らなくても、それを感じない人など居るでしょうか?
そのブログ主も述べているように、愛という言葉、概念は明治時代に主として西洋からもたらされたものです。しかし、それ以前からわが国には、夫婦愛も兄弟愛、親子愛、神仏への愛も人々の内に息づいていたはずなのです。
そしてこの外来語は、それをさらに広く、深く、豊かなものに変えたということも確かなことでしょう。
それは、元々我々の内に息づいていたものをかく呼び覚ました、ということが言えます。
抽象的に考えるのでなく、愛を感じるのは言うまでもなく私自身であり、それは極めて実存的なものなのです。神、霊なるものと同様に!
そして又、実存的なものは、先のように容易く抽象化され、その具体的な生の在り様から切り離されるものの最たるものでしょう。
実存主義哲学などとうに死に絶えた感がありますが、古来から実存的ならぬ人間存在など在ったタメシなどありません。
私が実存的な神と言った場合、それは生きてハタラク神のことを言い表しているのです。
同じように、私がアリアリと、血肉に通うようにも具体的に感ずる愛とは、実存的な愛を置いてはあり得ません!
ブログ主が又言うように、歌の世界などでやたらと愛という言葉が安易に使われ過ぎているのも事実でしょう。
それだけに、一人一人のハートに向き合って、実存的な愛に目覚める必要があるでしょう。
愛そのものにパワーがあるようには私には感じられませんが...そこから人の人生を変える、計り知れないものに導かれるのは確かなことなのですから!...
抽象的に思い描かれただけの愛など死んでいる!...それを生きたものにするかどうかは、けだしそのように愛を思いによって捉えようとするか、それを超えた愛に捉えられるかどうか、ということにかかっているのでしょう...。
コメント
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