人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

意識が向くこと、向けられること

2023-10-25 09:43:45 | 意識、照明
ずっとこのブログを読まれている方ならお分かりのように、私は例えば死後の世界や前世の実在性など、自分が直接見たり、感じたりするでもなく、ただ誰かが言っていることを鵜呑みにして、他に向けて伝えてしまうようなことはしないようにしています。
これは、よほど知性も主体性も無く、真のスピリチュアルな道にはほど遠い、その精神性も霊性も欠いた在り方と言わねばなりません。
言い換えると、それは意識的な在り方ではないということ...これを欠いた霊性の道などあり得ないと言っても過言ではありません。
だからと言って、これもご存知のように、私は死後の世界も前世も否定している訳ではありません。というより多くのスピ愛好家?と同様、関心があります。...いや、”自ずと向けられる”と言った方がいいかもしれない?...
神は六次元の存在だとか何とか、丸っきり観念に浮いたことなどには最初から関心は向きません。自ずと意識は向かわないのです。
関心がある、意識が向く...これが意識の世界では重要なポイントでしょう。
私が意識を向けるとか言った場合、多くそれは、”向けられる”ことと切り離されないものとして語っています。これは、そう、神に向けると言った場合に顕著に感じられることなのです。
私はこれまで何度この言葉を言い表して来たことか!...そして、その現臨感に与ることにより、神についての認識が広がり、深められていったのです。
”神という一語の中に、その超越的なものは勿論、私の実存、あらゆる他者、普遍的なものなどのことが一つに内包されている!”
これは、あの感じを通して言い表わせるものなのであって、それが抜けたら何を言ってるのか、サッパリ分からないでしょう(笑)
このように、あるものに意識を向けると、それまで漠然と思っていたものが、ある感じを伴って自分自身に直結したもののようにも認識されるようになるのです。そして、そこには実はそのあるものの方がこちらに向けさせているのかもしれないのです。
あなたは今、あるものに関心があるかもしれない。どうも気になってしょうがない。漠然と思っているだけ、ただの知的な興味だけなのかもしれない。
気になるのなら意識してみたらいいのです。それが浮いてすぐどっかへ行ってしまうのなら、”意識付け”されることは無いでしょう。
いやと言うよりも、あなたが意識を向けたなら、あるものの方があなたを引きつけているのかもしれないのです。最初から向いていたから関心があったのではないですか?
これは、精神的な道に限ったことではありませんが、多くの人は頭だけの知識が増えれば、何か精神的に見識が広がり、深くなったように錯覚するものです。
しかし、本当に精神性が豊かになることは、意識の拡大、深化に関わることであることに気付いていないようです。
それは頭デッカチが思っているような、魂の進化といったものとは何の関係も無いかも分かりません。
少なくとも私の意識はそっちへは向きません。その広がり、深まりをもたらすものに自ずと向けられるのです。
コメント
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