人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

三位一体の円相

2023-10-19 09:48:22 | スピリチュアル
いつも言うように、悟りとか覚醒というものは思い、為そうとする自分からは中々道がつくものではありません。
思いを超えた世界には、思いを超えたもの~神的なものに導かれる必要があります。
だから、悟りの道とかいうよりも、神の道と言った方が私にはピンと来ます。
だからだから、神に意識を向けたらいいのです。
え?、神といっても捉え所が無い?...どの宗教の、どの神にか分からない?
んなもん、あなた自身に直接感じられる神に決まってるでしょ!
神が分からなかったら、自分自身に意識を向けたらいいんです。余計捉え所が無い?
考えている自分が考えている自分を多分、意識することは出来ないでしょう。自分を考えているだけだ(笑)
だから、これは端緒として思いからでもいいから、(何らかの信仰を持っていたら、信奉している神でいいから)それと向き合うつもりで神に思いを向けたらいいのです。(これは、ほとんど意識的になることと言ってもいいでしょう)
そうすると、いつの間にか思いから離れるようになります。私はかく思っている私ではない、それを超えたものだということに気付く...これが自分自身に意識が向けられても同じことになるでしょう。
つまり私と神は相即している...一如のものだ、ということが分かるのです。
この意識を向けるということなのですが、神にでも自分自身にでも、そうしようとしなくても、自ずと向いてしまうということがあるのです。惹きつけられると言ってもいい。
そう働きかけるもの、ハタラキがある!
ハタラキそのものは、いきなりは意識出来ません。神に、私に意識が向けられた、そのことに意識が向く、向けられるのです。
つまり、神、私、ハタラキは切り離すことが出来ない!...三位一体。これは如何なる宗教的な、精神的な道にも通底しているものではないでしょうか?
ただ、これまではあまり直接神の道とつながるものでなかった(意識されてこなかった)ようです。抽象的に(三つの位格は何であれ)三位一体の教理を信じてたってしょうがありません。
自己実存を欠いたら具体的なもの、生きたものにならないですよ!
そこに、信じ仰ぐのでない、実存的な神が顕わになる!
そういうハタラキがある...これが生きたものたらしめているのです。
三位一体...それは図説すれば三角になるのかも分からないですが、そのように静的に眺められるようなものでは言い表すことは出来ないでしょう。
それは、時にはその三相が円相となって動的に渦巻き状の如く転じ、展開しているのが感じられます。三は一つの円に...
私が意識的になると、それが内奥に息づいているのを、あるいは私のすべてがそれに包み込まれているのを感じずにおれません。
私のすべて...それはあらゆる精神的な道に普遍的に働いているのでしょう!...

コメント
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