人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

否定ではなく統合

2024-09-16 09:54:19 | 覚醒
前々回で、例の反面教師が、自身のブログで覚醒体験を煽るようなことを書いていたことに対し、批判的なことを書いたら、この御仁、それを読んだのか、その記事は削除されていました。
と、代わりにアップされた記事が又、何とも輪をかけてトンデモ...な内容なのでした。
それによると...”すべての人が覚醒すると、物質次元の世界は存在しなくなり、宇宙の意志、法則からすると、それはイレギュラーなことになる...”のだそうです。
まるで、覚醒すると、肉体、物質は消えてしまうような言い分ではないか!...この御仁には宇宙の意志が分かっているのだろうか?...(私はこれには、良く言っておそらく言葉が足りないのだろう、とそう信じたいのですが)もし、それをマトモに受け取れば、この御仁、よほどの妄想に囚われているか、常識的な見地に立つことが出来ないんだ、と思わざるを得ません。
いやもう、”私の覚醒は近い”、なんて言っている場合じゃないですよ!...だから言うのです。上っ調子の、興味本位な思いで”ぶっ飛んだ体験”を追い求めることは魔境に通じているのだ、と!...
興味本位でなきゃ、どうせこのような誰かが言っていることに追従し、ハマってしまうような観念に浮いたようなことなど書かないでしょう?...それは覚醒どころか、催眠状態に陥っていることを知らねばなりません。取り返しのつかないことになる前に、普通人の常識に立って考え直すことをおすすめします。
この御仁、この記事を読んだら、又得意の削除をするのでしょうか?...何にせよ、彼が長年信奉している、五井先生の言う、”消えてゆく姿”というものがどういうものかがこれで分かるではないか!

この御仁の言葉からまず感じられることは、肉体、物質的なものに対する強固な否定感情です。
彼に限らず、宗教、スピの界隈には、その他思考マインド、自我意識などを否定的にとらえる向きは多いようです。
私も時にそう感じさせてしまうことを言ったりしているのかもしれません。
しかし、本当に私が言いたいことは、それら自体を否定することではありません。持って生まれたものに否定さるべきものなど何一つ無いのです。
問題となるのは、”それだけ”に限定されてしまうということ...そして又、それが悪いということでも無いのです。否定感情は、善悪に囚われた思いの表れではないでしょうか?
悪いように感じるその中身は...それはただそのままだと不都合が生じる、行き詰まってしまう、生命的なものが枯渇してしまう、立ち行かなくなってしまうということなのです。
これを煎じ詰めれば、いつも言っているように、人間存在は、思い、為そうとする一コの自分だけでなっているのでは無い、ということになるでしょう。
肉体、物質は言うまでもなく、時が経てば消えてしまうものです。だからと言って、消そう(自分でそうしようとするのは狂気の沙汰!)とか否定してしまうものでは無いはずです。それを持って生まれた我々なんだから!
肉体、精神というものは、本来一つのものであるはずなのです。分けてしまうのが分別知ということなるでしょう。
宗教的覚醒でよく言われる、頭脳知、分別知を超えるとは、それを超えて、又その根本にある、純粋意識に目覚めて、統合、調和がなされるということでしょう。
これは又、一コの自分が、神的なものとつながることを意味することに他ならないのです。
これらは意識次元の転換のことを言っているのであって、現実に肉体、物質が消えるなんて思い込んでいるのは、それ自体極めて物質次元に囚われた観方という他ありません。
こうしたことは、あれやこれやと空想、妄想などしてないで、ありのままの自分を受け入れ、見つめていたら、言い換えれば、実存的精神に目覚めれば(覚醒というものはこれを抜きにしてはあり得ない!)自ずと示されて来るものなのです。
しかし、考えている自分からは中々そうならない...だから自分を超えたものに意識を向ける...祈ることがあるのだと...私もあの御仁も何十年も前からそのことを五井先生を通じて知らされていることなんだ!...
だのに...たはは!、アタシャ、もう、何も言えんわ!...
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