巷では、今年の夏頃に何か大変なことが起こるだろう、とある予言を元に不安をもたらせるような情報が飛び交っているようです。
例の反面教師の画伯なんかは、今年は必ず次元上昇が起こる、それも天変地異とかカタストロフィが伴うものであるように信じ込んでいて、恐怖を煽るようなことを書いているのです。
この御仁、これまでに何度も、いついつにそういう次元上昇が起こる!、皆さん覚悟はいいですか、なんて書いていて、それが起きなかったら、“間違ってました、訂正させて頂きます“、とマヌケなことを何度も繰り返しているのです。
半世紀近くも、五井先生の“消えてゆく姿で世界平和の祈り“という教えに従っているらしいですが、あまりそれに熱心でなかった私でも、それは全く五井先生の道からはズレたものだ、というくらいのことは分かるのです。
そういう事象は起こるかもしれないし、起こらないかもしれません。然るに分からない巷の流言に囚われて、やたらと不安な思いにかられてしまうことは無駄なことなのです。
勿論、いつ何時、隣国からミサイルが飛んで来るか分からないし、巨大地震が起こるかも分からないです。しかし、こういう時こそ、地に足を着けることを意識することが大事なことではありませんか?
日本の古代文化などの研究をされている、井戸理恵子女史も動画で、今年の巳年にちなんで蛇は大地性とつながるということを言われていました。
又、巳とは身につながりましょう。身といっても、それはこの肉体だけのことではありません。井戸女史も言われるように、先祖などともつながるものでしょう。
目に見えないもの共々がこの身なのではあるまいか?
それを感取することは、観念、空想、妄想に浮くことではありません。
地に足を着け、具体的に自己(それは考えている自分のことのみではない)に即して感じるということです。
それで私自身に感じられることは、そういう不安感をつのらせるものばかりでは無い!
いよいよ持って、私を超えて、私に内在するものとのつながりがこの身を通して、ジワ~ッと蛇のように迫って来るようではないか?!
この年末年始私は蛇のようにシツコイ、インフルにかかり、あまり無駄に外出することなく、寝床で蛇のようにくねくねしてるばかりなのでした。
そこで、とにかく性懲りもなく祈りとも瞑想ともつかないことをやる、やらされていたのです。
すると、蛇のようにクンダリーニが上昇?...するのかどうか分からないが、何か蛇のような生命力みたいなものがこの身を通して顕わになることが数度あったのです。
このように具体的に感取されたものを通してかく言わされるまでです。
巷に飛び交っている流言などの観念ごとで、浮ついた興味本位な思い、不安な思いは消えてゆく姿として(明るい、プラスな思いに切り替えよう!...なんてことは私は言いませんが)、(消えてゆかない)自分自身に即したことを意識すれば、思いを超えた恵み、喜びを時には蛇のようにジワ~ッと迫るように、あるいは、あなたの運命のその時には、“シャア~ッ“と思いもかけない瞬発力(これも蛇なんだ!)を見せて、あなたを捉えてしまうでありましょう。そうなったらあなたはもう逃れることは出来ません!
それは、あなたの主と一つになる運命の時なのだから!
たとえ、世の中がどうなろうとも!...
例の反面教師の画伯なんかは、今年は必ず次元上昇が起こる、それも天変地異とかカタストロフィが伴うものであるように信じ込んでいて、恐怖を煽るようなことを書いているのです。
この御仁、これまでに何度も、いついつにそういう次元上昇が起こる!、皆さん覚悟はいいですか、なんて書いていて、それが起きなかったら、“間違ってました、訂正させて頂きます“、とマヌケなことを何度も繰り返しているのです。
半世紀近くも、五井先生の“消えてゆく姿で世界平和の祈り“という教えに従っているらしいですが、あまりそれに熱心でなかった私でも、それは全く五井先生の道からはズレたものだ、というくらいのことは分かるのです。
そういう事象は起こるかもしれないし、起こらないかもしれません。然るに分からない巷の流言に囚われて、やたらと不安な思いにかられてしまうことは無駄なことなのです。
勿論、いつ何時、隣国からミサイルが飛んで来るか分からないし、巨大地震が起こるかも分からないです。しかし、こういう時こそ、地に足を着けることを意識することが大事なことではありませんか?
日本の古代文化などの研究をされている、井戸理恵子女史も動画で、今年の巳年にちなんで蛇は大地性とつながるということを言われていました。
又、巳とは身につながりましょう。身といっても、それはこの肉体だけのことではありません。井戸女史も言われるように、先祖などともつながるものでしょう。
目に見えないもの共々がこの身なのではあるまいか?
それを感取することは、観念、空想、妄想に浮くことではありません。
地に足を着け、具体的に自己(それは考えている自分のことのみではない)に即して感じるということです。
それで私自身に感じられることは、そういう不安感をつのらせるものばかりでは無い!
いよいよ持って、私を超えて、私に内在するものとのつながりがこの身を通して、ジワ~ッと蛇のように迫って来るようではないか?!
この年末年始私は蛇のようにシツコイ、インフルにかかり、あまり無駄に外出することなく、寝床で蛇のようにくねくねしてるばかりなのでした。
そこで、とにかく性懲りもなく祈りとも瞑想ともつかないことをやる、やらされていたのです。
すると、蛇のようにクンダリーニが上昇?...するのかどうか分からないが、何か蛇のような生命力みたいなものがこの身を通して顕わになることが数度あったのです。
このように具体的に感取されたものを通してかく言わされるまでです。
巷に飛び交っている流言などの観念ごとで、浮ついた興味本位な思い、不安な思いは消えてゆく姿として(明るい、プラスな思いに切り替えよう!...なんてことは私は言いませんが)、(消えてゆかない)自分自身に即したことを意識すれば、思いを超えた恵み、喜びを時には蛇のようにジワ~ッと迫るように、あるいは、あなたの運命のその時には、“シャア~ッ“と思いもかけない瞬発力(これも蛇なんだ!)を見せて、あなたを捉えてしまうでありましょう。そうなったらあなたはもう逃れることは出来ません!
それは、あなたの主と一つになる運命の時なのだから!
たとえ、世の中がどうなろうとも!...