初めての方もおられると思うので改めて書きますと、ここで"人生の裏側"と呼んでいるのは、一口ではとても言い表せないものなのですが、"その表側"と言うべき、日常のフツーの意識状態に隠れ、息づいており、その意識の変容に伴って顕わにされる世界のことを言っているのです。
それと、共にこれまで人に知られていなかった、私の謎めいた(?)実生活(これは意識の変容のこととかとは直接関係ありません)のことと引っ掛けて、"神秘のヴェールついに剥がれるi"、ってなノリで嬉々として書いている次第なのです。(けっして裏社会のヤバイ世界のことではありませんi)
この裏側に足を踏み入れると、そりゃもう、表側では求むべくもない、愛、幸福、リアリティ...いや、どんな形容も出来ない、途方もないものに与ることが出来るのですi
だから..."ここに真実があったのですi ... 真実はこれっきゃ無いのですi...思われた表側の世界は幻想であったのですi"...
なんてーことも私は確かに感じ、思ったこともありますよ。だけどねえ...アタシャ、そういうこたあ、一寸言えないですねえ..."裏側のことは何も言えない"、ってのが真実じゃないですかねえ...。
"真実はこれっきゃ無いi"、なんて言い方こそは、表側ならではのものじゃないですか?
真実と幻想とが分けられて、相対的個人がそう言い表わそうとしているのですから...言いたい気持ちは分かりますけども...
相対的な表側に対して、裏側には絶対的なものがある、と一応は言うことも出来ますが、絶対的なものが表に出された途端、相対的なものになってしまうのがオチです。
絶対的なものの幻想...だから、"これっきゃ無い"なんてのは典型的な例でしょう。
一方、実証だの立証だのがモノを言う、表側の真実に照らせば、"何も言えない感じ"のことなどお話にならないでしょう。
そもそも何が真実で、何が幻想か、と思い、感じられるのは、この表側の世界あってのものと言えるでしょう。
愛、平安、リアリティ...そういうものも然りでしょう。
それらを求めようにも、現世ではどこで与れるものかは分からない...しかし、誰もがどっかにそれらが隠れているに違いない、と感じているもの...だから、仮に言い表すにせよ、言葉にすることが出来るのでしょう。
そのように、裏側のことは言葉というものを"依代"にしなければ伝えられないのです。
しかし、ただの形だけの言葉には命など無い...要するに裏側あっての表側、逆も又然り...表裏一体。
悟り系スピなどで、思われた現実、表側の世界は幻想i、と決めつけたがる傾向は、これまでこの世界があまりにも思いを超えた、裏側の世界のことを蔑ろにしていたことに起因しているのでしょう。
つまりどっちかしかない、と偏り、決めつけることが幻想なのではないでしょうか?
しかし、思いを超えた事態が続出し、世界が"コロナっていた"間、世界はより、その表裏一体感を強めて来たように感じています。
それと、共にこれまで人に知られていなかった、私の謎めいた(?)実生活(これは意識の変容のこととかとは直接関係ありません)のことと引っ掛けて、"神秘のヴェールついに剥がれるi"、ってなノリで嬉々として書いている次第なのです。(けっして裏社会のヤバイ世界のことではありませんi)
この裏側に足を踏み入れると、そりゃもう、表側では求むべくもない、愛、幸福、リアリティ...いや、どんな形容も出来ない、途方もないものに与ることが出来るのですi
だから..."ここに真実があったのですi ... 真実はこれっきゃ無いのですi...思われた表側の世界は幻想であったのですi"...
なんてーことも私は確かに感じ、思ったこともありますよ。だけどねえ...アタシャ、そういうこたあ、一寸言えないですねえ..."裏側のことは何も言えない"、ってのが真実じゃないですかねえ...。
"真実はこれっきゃ無いi"、なんて言い方こそは、表側ならではのものじゃないですか?
真実と幻想とが分けられて、相対的個人がそう言い表わそうとしているのですから...言いたい気持ちは分かりますけども...
相対的な表側に対して、裏側には絶対的なものがある、と一応は言うことも出来ますが、絶対的なものが表に出された途端、相対的なものになってしまうのがオチです。
絶対的なものの幻想...だから、"これっきゃ無い"なんてのは典型的な例でしょう。
一方、実証だの立証だのがモノを言う、表側の真実に照らせば、"何も言えない感じ"のことなどお話にならないでしょう。
そもそも何が真実で、何が幻想か、と思い、感じられるのは、この表側の世界あってのものと言えるでしょう。
愛、平安、リアリティ...そういうものも然りでしょう。
それらを求めようにも、現世ではどこで与れるものかは分からない...しかし、誰もがどっかにそれらが隠れているに違いない、と感じているもの...だから、仮に言い表すにせよ、言葉にすることが出来るのでしょう。
そのように、裏側のことは言葉というものを"依代"にしなければ伝えられないのです。
しかし、ただの形だけの言葉には命など無い...要するに裏側あっての表側、逆も又然り...表裏一体。
悟り系スピなどで、思われた現実、表側の世界は幻想i、と決めつけたがる傾向は、これまでこの世界があまりにも思いを超えた、裏側の世界のことを蔑ろにしていたことに起因しているのでしょう。
つまりどっちかしかない、と偏り、決めつけることが幻想なのではないでしょうか?
しかし、思いを超えた事態が続出し、世界が"コロナっていた"間、世界はより、その表裏一体感を強めて来たように感じています。
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