人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人間の知られざる本来性

2024-09-19 09:28:51 | 哲学・思想
私が最近つくづく感じることは、人間の自己中心性、自我性のことがよく問題にされますが、それは元からどうしてもそうなってしまうように、組み込まれているのではないか、ということなのです。
キリスト教などでは、”人間は、みな元から罪人である”、とか言って、そういうことをよく強調しているのです。これは、性悪説とも関係することでしょう。
人間は、自分の立場があぶなくなると、本能的に保身することを意識するし、危急時には、我先に助かりたいと思うものです。少しでも自分の利益を考える。自分だけ幸福でありたいと望む...あなたはこういうことで、本当に幸福なことだと感じられますか?
まるで、人間には自我性があるというよりも、自我性こそが人間の本来からの性質のようではありませんか?
そうなのです。人間は、一コの自分だけで成っていると認識している限り、どうしてもこうした性向に赴いてしまう生き物なのです。
そして、その自我性から自身の生は、生命が枯渇し、行き詰まり自滅に至り、又自他の相対感に囚われ、果てしなく相克、対立を繰り広げ、やはり自他共に滅びてしまう運命を辿ることになるのでしょう。
しかし...よくよく考えてみて下さい。何故我々は、こうして生きながらえ、人間世界は存続していられるのか?...先の通りなら、人類はとっくに滅亡していてもおかしくないではありませんか?
この裏にあるものは...人間は知っているのではないか?...否、知らされているのではないか?...かくの如く、自我だけしかない人間は、自滅するよりないということを!、それは決して幸福になる道でないということを!
元から知らされているものがある!...これが、人間の知られざる本来性なのではないか?
自我性に囚われた、表層意識の奥には、自分は自分を超えたもの無しには成り立っていない、それ無しには生きることも、生まれ出て来ることも出来ないことが認識されているのではないか?
ここで、どちらが真の本来性かと言ったら、そりゃあね、根本的な方でしょ!...と、言いたいところなのですが、それは、あなたが感じたとおりのものなんでしょうよ!
アタシャね、自分がヤバくなったら、すぐ保身に走って、”私は何もやってません!”、とすぐに誤魔化すし、自分の幸福を追い求めてばかりいるので、エラそうなこた、とても言えないのですよ。
でも、知らされていますよ!...そして自然と自分(だけ?)が幸福に感じられる方に導くものがあるのを!...それは、全く私ではない!...私を超えたものから来るのです。そっちが舵を握っているようなので、エラそうな、悟ったようなことは言えないのです。
しかししかし、私はどうしてもこう言いたい!
私が本当に望んでいることは...あなたが本当に望んでいることと多分同じでしょう?
これはね、”何が本当なのか?”、と理屈を知ることでは無いのです!
私は、どうしてもこうしても(ドーパミンが出るのかどうか知らないが)、幸福に感じられる方に赴いてしまうまでなのですから!...

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