人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

夢想と現実

2024-01-25 10:02:58 | 意識、照明
ありのままの自分を受け入れることの大切さについては何度も触れてきました。
もし、精神的な道というものが神の道、神と一つになる道というのなら、そのことを抜きにしてはあり得ない、そこからしか何も開かれないと言っても過言ではないでしょう。
しかし、私のチョイと知ってる人間でも、ありのままでない、修行か何かで、思われた自分を段々高め、進歩させて行き、又現実にはそうなっていないのに、自分は高みに達したものと夢想したがる向きもあるのです。
そして、:“取り越し苦労はいけません!“などと言ってる端から、ワクチンは有害だとか、マスコミはその事実を隠蔽しているとか、それが定住地であるように、いつもの真偽の分からない妄想世界から抜けることが出来ないでいるのです。
それがこの御仁のありのままの姿なのでしょう?
当人は、ゼッタイに認めようとしないでしょうが...何十年も修行し続けていて、そんなザマでいることなど!
“何にも見えていないのに、見えていると言い張るところに罪がある!“
...って、別に罪って訳でもないですよ。(多分、罪の意識が見えなくさせているのでしょう?)
不確かな情報を拡散し続けるのはどうかと思いますが、いつまでも同じところをグルグル回り続けているのが悪い訳じゃないですよ!...本人の生き方の問題でしょう。第一いくら自分の思い、努力に頼っていてもそれで神の道が開かれる訳でもありません。
ただここでは、それはありのままの自分の現実を受け入れることで開かれる、とそう言っているのです。
それは、かくある自分を夢想したり、誤魔化さないことです。そうして初めてありのままの自分を投げ出すことが出来る、ゆだねることが出来る(これは、出来る、出来ないという問題じゃありませんが)...何に?...そう、思いを超えたもの、神に!
私は若い頃から思い煩いの苦境にある時など、何回かこういう経験をしているのです。その頃は特に神的なものを意識していた訳では無いのですが、思いを超えたところから来るという本質は同じです。思いがけないことなのです。
そして、いつの間にか、その思いのがんじがらめが解かれて、その隙間に新しい、何とも快い風が吹き込むようにも、ラクーな、幸福な気分に変わってしまったのでした。
現実の自分は、絶望感に苛まれたミジメな自分...それが自分の本当の姿などとは認めたく無いのです。
だけど、その自分に思いを超えたところから光が差し込んでいるようではないか?!...この現実を受け入れざるを得ない!
つまりは、本当の自分とは、かくあれかしと思う自分のことではなく、何らの誤魔化しの無い、そこに光が当てられ、照らされている自分でなくて何であろう!...真我が何かは分からないが、少なくともそこに仄かに映し出されているのではないか?
ありのままの自分を受け入れることは、私の若い頃のように、精神的な苦境になければ、そうならないというものではないでしょう。
ただ、神は自分を欺き、誤魔化すことなく、ありのままの自分を受け入れようとする人間を放っとかないでしょう。
...いやもう、意識すれば、その“お照らし“は常にあるのではないか!
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