人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

向き合うこと

2024-06-16 09:35:07 | 意識、照明
意識的になる、意識を向ける...
毎度のことながら分かりにくいですね。
我々にとり、まったく当たり前すぎるように根本的な在り方であるにも関わらず..
では、意識的でない在り方がどういうものかについて示してみましょう。
その典型的な例は、スマホとかに夢中で前を見ないで歩いていたりすることです。
スマホに意識が行ってるから前を見てないということでもありますが、そんな分散した在り方はとても意識的なこととは言えません。
第一、意識的になっている、向けるなんて言うまでもなく、それは前を向いているということじゃありませんか?
これは、物理的に前を向くということだけでなくて、”向き合う”ということなんです。自分に向き合う、神に向き合う...
本当の自分が、神が何かは分からない...だったらその分からないことに向き合う...
私は一寸”神に意識を向ける“とか、よう向き合えないことを言い過ぎたかもしれませんが、言わんとしていることはそういうことです。
そうすると、分散的でない、分別的でもない、観念に浮いたものでない、何かに根付いたもの、落ち着くもの、自己と一枚になっているものが...その、つまり意識されてくるのです。(イヤ、もう当たり前すぎること、根本的なことは説明出来ないんだって!...何かを指し示す説明が答えになってしまう!...)
だから、意識的になるもならないも無い...なっているのです!
これはですね...これが又、そうならないと分からないことなのですが、そうさせるものがあるからそうなるのです。
だから、そうさせるもの(これを神、神的なものと言っているに他なりません)に向き合えばいい!...
要するに、そうなんだ!...向き合うということは、こちらとあちらが向き合うということなんです!
これは、勿論思考を巡らす、考えることじゃありません。考えたって分からないし、そのものに向き合うということがありません。
分からなくたって、向き合える、意識的になれる...否、なってくる!
これは、ほんの端緒として、意識的になろう、向き合おうという意志想念に働きかけるということがあるだけで、すぐに自動的な意識に移行してゆきます。
自分に向き合う、神に向き合う...んん...どうしても切り離されない!
これに特別な教え、メソッド...別に仔細は無い!

町を歩いていて、もう本当にゾンビが歩いているように意識的になっていない人を多く見かけます。
段々人間が人間で無くなって行くのでしょうか?
いいや、見える世界は確かにそのように映るのかもしれません。
しかし、私は数年前まで上記のようなことなどとても語ることなど出来なかったのです。
段々私は自分、自己実存に又、神的なものに向き合えるようになってきたのです。
これは、修行などとは無縁な私の何かでそうなるなんてことで説明がつかないことですよ!
自分に、神に向き合えば...一方で今が“そうなってくる、なっている時代“であることをヒシヒシと感じずにおれません。

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