人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

どうしようもない悲しみ

2020-01-11 10:21:27 | スピリチュアル
毎度のことながら、自分があることについて、人がそう言っていることでなしに、リアルにそう思い、感じられるか、どうかということは、自分自身を生きる上で極めて大切なことだと思うのです。
自分を生きることが仮初めなことでないならば...人間が生まれ、そして死んでゆくのは仮初めなことなんでしょうか? 自分自身に問うてみられよ。
例えば非二元論者が言うように、"自分は居ない、すべてはストーリー、幻想..."といったことで、本当に納得出来るでしょうか?
本当にそういうことがリアルに思え、感じるのでしたら、それはそれでいいでしょう。だけど、それはそういうあなたのことであり、私のことじゃありませんi...だから毎度私が感じたことを書いているまでなんですけど...言わずもがなのことで...

私が"現臨に捉えられる"と言っているのは、思考機能が後退してしまった意識状態なのですが、それはけっして人がトランス状態というもので連想されるような、錯乱状態ではありません。
思考はともかく、意識はむしろ普段よりはるかに明晰になっています。考えることは出来ませんが感じることは出来るのです。
この感じっていうのが、そりゃもう、普段より数倍もリアルなのですi
これは多分思考が介入してないためにダイレクトに感じられるためでしょう。だからと言って、それが即真実だとは言えませんが、そのリアルなもの無くして真実などどこにも無いとも言えるでしょう。
最初にそういうことになったのは、とてもキョーレツなもので、それこそトランスになったみたいに"ワン、ワン"泣くしかなかったのでした。
とめども無く涙が込み上げてくる...それは、どうしようもない歓喜を感じていたからなんですが、これは今まで語ってこなかったことです。(その理由はどう表現していいか分からないからなのですが)そこにどうしようもない悲しみみたいなものを感じていたのです。
何か途方もない神的なものが上昇してくる、現れ出ようとしてくるものを感じる...そしてそこには何かすべての人類の悲しみが、願いが込められているようにも感じられたのです。
"生きて死に、果てていった幾多もの命の営み...何一つ仮初めなものなどあろうかi
これはすべての人類の宿業みたいなものが化されてゆく姿なのだろうか?...移ろいゆくものの悲しみ、消え果ててゆくものの悲しみ...だがこの神的なものの上昇には、そうしたもののある永遠性も隠されているのではないか?"
そこにとてもリアルなものを感じるのは、"私という私性"と切り離されていないからだと思います。
現臨に捉えられた世界に示されるのは、確かに分離の無い一元的な世界です。しかしそれはこの二元的現実世界と切り離されていない、分離してない、ということでもあるように強く感じています。
幻想というのは一元、二元どちらかが真実で、どちらかが幻想だという偏った観方、感じ方にあるのではないでしょうか?...
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