人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

春の風

2024-02-10 09:11:15 | 独語
“禅の立場では自分以外の神とか霊的存在などを認める訳にはいかない...“
“キリスト教の立場では、歴史的なイエスを信じ、その十字架の贖罪を信じなければならない...“

宗教では、無とか空とか神と一つになるということが説かれる
何かを信じなければ救われないということが説かれる
自分の立場に固執していて何故そういうことが言明されるのだろうか?
仏教やキリスト教を楯にしているだけではないのか?
何かが鼻に付いてしょうがない!
無になる、空になるということは...
私は無になった、空になったということなのだろうか?
信じて救われるということは...
私が信じているから救われたということなのだろうか?
“やっている、やりました“という自分への固執...
いよいよもって鼻に付いてならない!
どこまでも付きまとう“自分“というもの...
自分をどうするかという問題?
自分をどうするかということなど問題にならないではないか?
どうにもならないのだから...

路面に積もり、凍りついた先日の雪も暖かい日差しを浴びて自然に溶けだした...
どこからか風が吹いて大気の中へ飛ばされて行った...
積もりっぱなし、凍りっばなしの思いというものはない
無だとか空だとか思う必要もない
お日さまが出たら照らされるだけ...
風が吹いたら運ばれるだけ...
暖かい春の風...
思いを超えたところからくるもの
それを仏法や福音と呼ぶのは自由だろうけれど...
為した、信じた自分とは関係ない!...

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