人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

心身の神癒

2015-04-05 09:55:28 | 人生の裏側の図書室
”表紙をめくると、何やら絵に書いたようなキリストの写真らしきものが載っている…これが何にもないところから出現したキリストの現象化を写し取ったものだという…そして次にはその怪しげなる交霊会に参加した人たちの証言…「紛れも無い主の御臨在が余りにも強く激しい現実となりました…」一体、この人は生前のキリストを知っていたとでも言うのだろうか?何という胡散臭さであろう…インテリ学者だったらこれだけでパスしてしまう事だろう…し、しかしだ…一度その見えざる世界より来るという神秘めいた語り手の言葉に接するや否や、私の魂は揺すぶられずにおれないではないか!これだけは紛れも無い真実である…

「キリストの中には分離なるものは無い。ありとしあらゆるものを通じて生きているかの「唯一無二」の生命には如何なる分離も存在しないのである。
神はおん自らを分割し給うたことは無い。ただおん自らを個別化し給うただけである。…それは渾一(ユニティ)の中における個体である」
 (M・マクドナルド・ベイン「心身の神癒」/霞ヶ関書房刊)

何度も繰り返し読んだ本、愛読書のことですが、手島郁郎「聖霊の愛」、小池辰雄「無者キリスト」、ベルジャーエフ「精神と現実」、玉城康四郎「ダンマの顕現」、西村忠義「人類の復活」などが有りますが、ダントツで繰り返し読んだ回数が多いのがこの書物です。
今日ではもうOOの霊言などといったものはそこら中にあふれている感が有りますが、これは戦後まもなくキリストが南アの霊媒師に降りてきて、講話を行ったという記録なのです。
その真偽や、自分に合うものかどうかの判断については、先入観に捉われず手に取って触れてみる事をお勧めします。
先入観というものは極力排しないと新たな啓発には巡り合えません。実際に手に取って読んでみてどうかい…ということなのです。
(私にとり最近のこの教訓が生きたのはダンテス・ダイジに触れ得たことでした)
さて、このM・M・ベインという著者については霊媒師(今日で言うチャネラーに近いようです)、ヒーラーであるという事以外詳しく知りません。
元々は神智学やニューソート(生長の家などに影響を与えた精神科学)系のヒーラーだったようですが、ある時不思議な使者に招かれてチベット~ヒマラヤに赴き、数々の霊・現両界の教師との出会いを契機に心境地が開かれたようです。
その辺の消息、大師たちとの交流が描かれた書物も実に味わい深いものが有ります。
何か著者の観念的、思念的な領域に滞っていたものが、解放されてそれを超えた次元が開かれたという感じです。「解脱の真理(霞ヶ関書房)、キリストのヨーガ(出帆新社)」
この書と出会ったころというのが、昭和54年の暮のことであの内なる声らしき者の導き、意識が広がってくるような内的感覚が冴えわたっていたころで、
読んでは度々感応して来るものを身に覚えていたものです。
訳者はこの見えざる語り手キリストについて、”神我”という言葉を当てています。
神と人の結び目である、神人なるものの具現を感じさせます。
その場合、神の分離という事と、個別化という事とは異なる点が重要かと思います。
勿論,こういう話は正統派を自認するキリスト教会が認める筈も無いのでしょうが、キリスト者は実際触れてみてどう感じるのか、真摯な意見も聞いてみたいですね。
エキュメニカル(教会一致)という事も、さらには諸宗教の和合という事も各々定見や帰属意識を離れて、自分自身に立ち返るというところから始まるのでしょう…。
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2 コメント

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Unknown (マクドナルドベイン博士を尊敬する者)
2019-04-30 20:31:32
The Higher Power You can Use(日本語のタイトルは神癒しの原理)で神智学やニューソートを批判されており、翻訳者の仲里さんで神智学支持者は、それをこれは著者の私見であり神智学は、、と書かれていたので博士自体はニューソートなどとは関係ないと思っております。

生長の家はニューソートでしょうが、王仁三郎聖師を学歴がないと馬鹿にしたり女性問題起こしたり、本を書いて、この本を読めば病気が治ると宣伝したが、本人はそのようなこと信じていなくて金集めのためだった、想いがつくるといい、戦時中、弾が当たらないと思えば当たらないと講演しまくっていたと「虚飾の経営者 稲盛和夫」の本にかかれていたので本当嫌いなのですが、ここから五井先生が出たのが不思議です、、、
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Unknown (シタテルヒコ)
2019-04-30 23:14:34
仲里さんの訳の「ヒマラヤ聖者の生活探求」は、よくベイン著と引き合いに出されているようですが、ずっと神智学、ニューソートに近いですね。又フリーメーソンとの関係を仄めかしてたり、この周辺の横の繋がりとかはよく分かりませんが、後年のベインからはあまりその影響は感じません。
生長の家の谷口教祖は、初期の頃は青年求道者風で人間臭い魅力もあり、活動も小規模の無教会風のものだったようですが、有名になって、大きくなるとお決まりの道へと変わって行ってしまいますね。
こういう宗教教団が辿る道は、大本の出口聖師を通じ、先は"りんどまり"となる型として示されているように感じます。
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