人生の裏側に入り込むというか、ワンネスの世界というのは、光一元の世界であるように語られることもあるようですが、確かにあの光の照射を受ける時はそういう感じになりますが、ずっと取り巻いているもので思い起こされるものはそういうものではありません。
あくまで私の感じを言っているまでですが、闇というものが全く無く、絶えず光輝いているというより、色で喩えれると、ダークブルーとか紫の世界という印象です。
何か光と闇とが重なりあっているという感じなのです。
といっても実際にそんな色に見えたとかということでなく、そのときの感性というのも通常の有り様と異なっていて、思われた感情というものも無いのですが、少なくとも"すべてが楽しくハッピー"という感じのものではありません。
歓喜、至福感というものはありますが、それはある種の悲しみをともなっているという感じなのです。
これが歓び、至福を際立たしているようにも感じられるのです。
あの悲哀感というものをどう表現したらいいのか...得ようとして得られなかったこと、願っても叶えられなかったこと、中途で挫折してしまったこと...そこには私のごく限られた人生というものを超えた、生と死のドラマを目の当たりにしているかのようです。
それは人生の表側だけで知らされている、生と死とは別の様相が映し出されているのです。
そこには喩えようの無い悲しみは感じられるが...苦しみは無い...
苦しみはそこへは持ち越すことは出来ないらしい...何故ならば死は思われていた、それですべてが永遠の闇に消えてしまうような、我々の心に呪縛し続けるもののようには感じられないから...
その悲しみは幸福と裏表のようではあっても、現世のように重いくびきに捉えられるということが無いのです。
悲しみというものは、しばしば苦しみと結び付いてネガティブなものとして語れることが多いのですが、私のブルーな人生を思い返してみて、悲哀感、哀愁というもの自体に苦しみを感じるということはほとんどありません。
むしろ、そこには"すべてがハッピー"という、受かれた気分では味わえないような深い、じーんと染み透ってくるようなある種の幸福感が感じられないでしょうか?
これは私に固有のこうした、"苦しみなき悲しみ"に惹かれてしまう性向と結び付いているからなのでしょうか?
昔から音楽では例えばバラード系が好きでしたが、聴いていて幸福にはなっても別に苦しくなってきやしないです。あまり重たいのはイヤですけど...
すべてがハッピーな光一元の世界など、想像するだに...多分私の居場所は無いでしょう。
強制的にそんなとこ放りこまれでもしたら、無限地獄に落ちた思いにさせられるかもしれません。
もし、光一元の世界というものが苦難の無い世界という意味であれば、あるいはそう言い得るかもしれませんが、それは闇の世界というものが排除され、セパレートされているというよりも、闇、ネガティブなものと思われていたものが、そのままで苦しみなきものに化してゆくことがあるばかりなのではないでしょうか?
もっとも、これはいつもブルーな私の感じを言っているまでで、人それぞれに感じたままの世界が開かれるのでしょうけど...。
あくまで私の感じを言っているまでですが、闇というものが全く無く、絶えず光輝いているというより、色で喩えれると、ダークブルーとか紫の世界という印象です。
何か光と闇とが重なりあっているという感じなのです。
といっても実際にそんな色に見えたとかということでなく、そのときの感性というのも通常の有り様と異なっていて、思われた感情というものも無いのですが、少なくとも"すべてが楽しくハッピー"という感じのものではありません。
歓喜、至福感というものはありますが、それはある種の悲しみをともなっているという感じなのです。
これが歓び、至福を際立たしているようにも感じられるのです。
あの悲哀感というものをどう表現したらいいのか...得ようとして得られなかったこと、願っても叶えられなかったこと、中途で挫折してしまったこと...そこには私のごく限られた人生というものを超えた、生と死のドラマを目の当たりにしているかのようです。
それは人生の表側だけで知らされている、生と死とは別の様相が映し出されているのです。
そこには喩えようの無い悲しみは感じられるが...苦しみは無い...
苦しみはそこへは持ち越すことは出来ないらしい...何故ならば死は思われていた、それですべてが永遠の闇に消えてしまうような、我々の心に呪縛し続けるもののようには感じられないから...
その悲しみは幸福と裏表のようではあっても、現世のように重いくびきに捉えられるということが無いのです。
悲しみというものは、しばしば苦しみと結び付いてネガティブなものとして語れることが多いのですが、私のブルーな人生を思い返してみて、悲哀感、哀愁というもの自体に苦しみを感じるということはほとんどありません。
むしろ、そこには"すべてがハッピー"という、受かれた気分では味わえないような深い、じーんと染み透ってくるようなある種の幸福感が感じられないでしょうか?
これは私に固有のこうした、"苦しみなき悲しみ"に惹かれてしまう性向と結び付いているからなのでしょうか?
昔から音楽では例えばバラード系が好きでしたが、聴いていて幸福にはなっても別に苦しくなってきやしないです。あまり重たいのはイヤですけど...
すべてがハッピーな光一元の世界など、想像するだに...多分私の居場所は無いでしょう。
強制的にそんなとこ放りこまれでもしたら、無限地獄に落ちた思いにさせられるかもしれません。
もし、光一元の世界というものが苦難の無い世界という意味であれば、あるいはそう言い得るかもしれませんが、それは闇の世界というものが排除され、セパレートされているというよりも、闇、ネガティブなものと思われていたものが、そのままで苦しみなきものに化してゆくことがあるばかりなのではないでしょうか?
もっとも、これはいつもブルーな私の感じを言っているまでで、人それぞれに感じたままの世界が開かれるのでしょうけど...。
・・・うん、人として「生きてられる」ことへの感動ってありますよね。何かがあっての感動でなくて、自分を経験することへの「感慨」なので、表面的に現実的に何も起きてない、考え事や心配事のない、落ち着いた自分である場面では、心の根底にある「何か」に触れて、トキに意味不な涙を流したりします(笑)
苦しみの以前に在る、自己への想起かもしれませんね。
これは確かに苦しみ以前への回帰なのでしょうね。