So many nights,I'd sit by my window (幾夜もずっと窓辺に座って)
Waiting for someone to sing me his song (歌を歌ってくれる人を待っていた)
So many dreams,I kept deep inside me (沢山の夢を暗い中で独り心の奥にしまっていた)
Alone in the dark,but now you've come along (でも、そう、あなたが私の下に来てくれた)
And you light up my life (あなたは私の人生を光輝かし)
You give me hope,to carry on (希望を与え続けてくれる)
You light my days and fill my nights with song(歌で毎日毎夜輝き、満たしてくれる)
Rollin'at the sea,adrift on the water(海にもまれ、水の上を漂っている中)
Could it be finally I'm turning for home?(ついに安息の地に向かってゆける?)
Finally a chance to say "hey I love you"(とうとう、これで"愛してる"と言える)
Never again,to be all alone...(もう、けっして独りぼっちじゃない...)
「YOU LIGHT UP MY LIFE(恋するデビー)」by Joe Brooks
1977年秋、私は精神面で大きな転機にあった時期でしたが、初秋から晩秋にかけて、ラジオからこの曲が流れない日は無かったように思います。
ところが、この年の全米ヒット.チャートを調べてみても、ベスト20にも入ってないんです。"んなアホなi" そんなの私は認める訳にゃいきませんi 確か連続10週一位の記録を作った特大ヒットだったのですから...
"エリック.クラプトン/ワンダフル.トゥナイト"、"イーグルス/ホテル.カリフォルニア(私は同時にヒットした"ニュー.キッド.イン.タウン"の方が好きです)"など、この年は洋楽の当たり年という記憶があり、ポップス史に残るような名曲が数多く生まれ、その時期にも"リンダ.ロンシュタット/ブルー.バイユー(これはカントリー.フレーヴァーとラテン.スパイスを隠し味にしたロイ.オービソンの名カヴァー)"、"ビージーズ/愛はきらめきの中に"などがチャート上位にありましたが、ついにその牙城を明け渡すことは無かったのです。
ただ残念なのは、その邦題「恋するデビー」で、おそらくそれを作った人はそんなにヒットするとは思っていなかったのでしょう。これが無ければもっとわが国で聴かれ、語り続けられていたかもしれません。
歌手デビー.ブーンは60年代初頭人気を博した、やはりポップス歌手だったパット.ブーンの実娘とは言え、ほとんど無名だったのです。
作者のジョー.ブルックスという人はほとんど知らないですが、職業ソング.ライターだったようです。し、しかし...
彼の晩年、末路については知らなかった方が良かったかもしれない...
ただ、この曲の素晴らしさは私にはずっと変わりません。(歌うのはサビはともかく、高いキーでスローに引っ張らねばならず結構難しいですが...)
元々はラブソングとして作られたそうですが、D.ブーンはあるところで、「"あなた"というのは、神のことじゃないかしら...」とコメントし、一部からそのズレた観方を指摘されたことがあったそうです。
まあ、親父さんがコチコチのクリスチャンだったことはあるにせよ...詩というものは、作られたもの以上に人それぞれの感性で膨らんでしまうもの...
It cant be wrong,when it feel so right...本当にそう感じたのなら、それで間違いではないでしょう。
Cause you light up my life...(それがなんであれ)人生を光輝かしてくれるのだから...
Waiting for someone to sing me his song (歌を歌ってくれる人を待っていた)
So many dreams,I kept deep inside me (沢山の夢を暗い中で独り心の奥にしまっていた)
Alone in the dark,but now you've come along (でも、そう、あなたが私の下に来てくれた)
And you light up my life (あなたは私の人生を光輝かし)
You give me hope,to carry on (希望を与え続けてくれる)
You light my days and fill my nights with song(歌で毎日毎夜輝き、満たしてくれる)
Rollin'at the sea,adrift on the water(海にもまれ、水の上を漂っている中)
Could it be finally I'm turning for home?(ついに安息の地に向かってゆける?)
Finally a chance to say "hey I love you"(とうとう、これで"愛してる"と言える)
Never again,to be all alone...(もう、けっして独りぼっちじゃない...)
「YOU LIGHT UP MY LIFE(恋するデビー)」by Joe Brooks
1977年秋、私は精神面で大きな転機にあった時期でしたが、初秋から晩秋にかけて、ラジオからこの曲が流れない日は無かったように思います。
ところが、この年の全米ヒット.チャートを調べてみても、ベスト20にも入ってないんです。"んなアホなi" そんなの私は認める訳にゃいきませんi 確か連続10週一位の記録を作った特大ヒットだったのですから...
"エリック.クラプトン/ワンダフル.トゥナイト"、"イーグルス/ホテル.カリフォルニア(私は同時にヒットした"ニュー.キッド.イン.タウン"の方が好きです)"など、この年は洋楽の当たり年という記憶があり、ポップス史に残るような名曲が数多く生まれ、その時期にも"リンダ.ロンシュタット/ブルー.バイユー(これはカントリー.フレーヴァーとラテン.スパイスを隠し味にしたロイ.オービソンの名カヴァー)"、"ビージーズ/愛はきらめきの中に"などがチャート上位にありましたが、ついにその牙城を明け渡すことは無かったのです。
ただ残念なのは、その邦題「恋するデビー」で、おそらくそれを作った人はそんなにヒットするとは思っていなかったのでしょう。これが無ければもっとわが国で聴かれ、語り続けられていたかもしれません。
歌手デビー.ブーンは60年代初頭人気を博した、やはりポップス歌手だったパット.ブーンの実娘とは言え、ほとんど無名だったのです。
作者のジョー.ブルックスという人はほとんど知らないですが、職業ソング.ライターだったようです。し、しかし...
彼の晩年、末路については知らなかった方が良かったかもしれない...
ただ、この曲の素晴らしさは私にはずっと変わりません。(歌うのはサビはともかく、高いキーでスローに引っ張らねばならず結構難しいですが...)
元々はラブソングとして作られたそうですが、D.ブーンはあるところで、「"あなた"というのは、神のことじゃないかしら...」とコメントし、一部からそのズレた観方を指摘されたことがあったそうです。
まあ、親父さんがコチコチのクリスチャンだったことはあるにせよ...詩というものは、作られたもの以上に人それぞれの感性で膨らんでしまうもの...
It cant be wrong,when it feel so right...本当にそう感じたのなら、それで間違いではないでしょう。
Cause you light up my life...(それがなんであれ)人生を光輝かしてくれるのだから...
歌詞がなかなか良いですよね
自分は女性シンガーと言えば、メリーホプキンの「グッドバイ」を今は聴いてます
歌が始まって十秒足らずでポールマッカートニーの曲だと分かる感じの曲です
それと薄幸の女性歌手、フィービースノウの「サンフランシスコベイブルース」も大好きなんですよ
初めはラジオのリクエスト番組でオリジナルキャストの「ミスターマンデイ」とかショッキングブルーの「悲しき鉄道員」とかを聴いてました
サンレモ音楽祭で賞を獲ったホセフェルシアーノの「ケサラ」も好きでしたねえ
ミッシェル・デルペッシュ の「青春に乾杯」も良く聴いた
1910フルーツガムカンパニーとかグラスルーツとか、
リクエスト上位の常連でしたね
私は72年頃から79年くらいまで、関西ではやっていたかどうか、わからないですが、米軍向け放送(FEN)を毎晩聴くようになったのです。キャプテン.ビーフハートみたいな声のウルフマン.ジャックってDJのとかね。日本の洋楽チャートより情報が一月くらい早かったですね。それで英語が上達したということはありませんでしたが(笑)
あの当時、才能有るなあ、と思ったのはバッドフィンガーでしたねえ 立て続けに名曲を出してました
洋楽のレコード売ってると言えば関西は梅田の「LPコーナー」が老舗で、店の女の人がメチャ情報が早かった
買う本と言えば「ミュージックライフ」一択でしたねw
ウチは田舎の中学で坊主頭でグランドファンクの公演を観に行ったんですが、前座が「霧の中の二人」のマッシュマッカーンでしたねえ
M.ホプキン、ボビー.シャーマン、ショッキング.ブルー、なんかは違いましたが、急に失速してしまうアーティストも多かったですね。
都市部には女子でロックファンとか、居たんでしょうかね
当時の関西では、ロンドンブーツを履いて銀色のカバンを
持ってド派手な化粧で路上でアクセサリーなどを売ってる
姐さんを「ロック姐ちゃん」と揶揄してました
で、素姓を聞くと凄いインテリだったりして、びっくらこいた
事が有りましたが、東京方面で、この手の姐さんは棲息したんでしょうかね
それ以前、東京ではなるほど一見そう見えない、文学少女ぽい姉ちゃんを渋谷のロック喫茶でよく見かけました。一人で居て、多分つるんだりしてなくて、自分の世界を持っているんでしょう。つまり私と同類のようだ(笑)
離島に引き篭もってしまった
あと思い出すのはバッドフィンガーの「Without You」をカバーして大ヒットさせたニルソンがランディニューマンの
「Sail Away」をヒットさせた時、わざと声を潰して歌っていて、なんじゃこれ?と一瞬思いました
悪声と言えばトムウェイツのLPを持ってましたなあ
トム.ウエイツのデビュー版は出てすぐ買い(73年)、悪声に驚きましたが、3年後来日講演で、もっと悪くなっててそのうち声が出なくなると思ってたら有名になってもうた。
ピアニストのSSWでは出世頭B.ジョエル始め、オサリバン、T.ラングレンとかP.マッカートニーに影響を受けた人が多いですね。