近年、ごく普通の人だった人が突然意識が目覚め、人昔前までは限られた宗教家や思想家によってしか語られなかったような、気付きについて語り始めているのは御存知の通りです。
多くのスピ系では、こうした流れを「人類意識の進化」の現れという、捉え方がなされているようです。
なるほど、私がこのような道を探究し始めた頃とは、大分周りの精神的様相が違ってきてるな、と実感させられます。
一つの特徴として、かつては気付きを得るに至るには、たゆまぬ修行、魂の磨きといったプロセスが必要だとされていたものが、特定の宗教、精神グループと関わらなくとも、ダイレクトに自己や世界の実相と繋がってしまうという即応性が挙げられるかと思います。
このような傾向は何時頃から始まったのでしょうか?
私の感覚では、平成10年頃自分自身にある気付きがもたらされた時からという認識が有ります。
この時分から、このような情報を見聞きするようになったように思うのです。
津留幸一というスピ系の教師も、確かこの頃から人々にそういう話が理解されるようになった、と言ってました。
これは人類意識に新機軸が訪れたことを物語っているのでしょうか?
ただ、意識が目覚めた一人一人が、精神的に進歩したとは言い切れないと思います。
私自身についても、勿論それで偉くなったのでも、リッパになったのでも無く、この世的に成功した訳でもありません。
相も変わらず無為徒食に明け暮れていて、いたずらに年輪を重ねてきただけです。
探究心旺盛だった若い頃の私と比べてみても、情熱、感性といった点でどうしても叶いません。
私は長年当時の私を”発展途上の人間”とみなしていたのですが、近頃認識が変わりました。
「アイツは分かっちゃってたんだ!」と…ただどうも自覚意識が足りんな!というものです。
ああ、狡猾な知恵ばかりは回ってきたようです…。
多少自覚的になったのでしょうが、何も進歩はしてない、±ゼロかも分かりません。
そして年々自覚的になって来ているものと言えば、隠れているものが顕わになってきた、ということです。
それは自覚、無自覚問わず身に覚えていたものです。
どっちにしろ、自分個人の一身上に関することではありません。
従って自分自身が進歩したとか、進化の途上にあるかどうかは関知してません。
(平成10年頃の気づきとはこういうものだったのです)
ある面では人類意識はより上なるものへと進化しているようにも見えます。
しかし、その我々のこの文明というものは、かつてないほど、滅亡の様相を呈しているように見えます。
ここには正反対の二つの観方が有るようで、実は一つのプロセスが伺われてくるようです。
我々の内奥に隠されていた神的領域、それは太古の昔も今も時空を超えて、在り続けているものです。
このもの自体には、進化も退化も無い!
そしてこのものと切り離されては、我々はどこにも進化して行かないのです。
あたかも糸の切れた凧のように、どこへ飛んで行くのか分からない…
そこには滅亡、破局が有るのみです!
やたらと意識の進化とかアセンションといった上昇志向に違和感を感じてしまうのはこんなところに有ります。
現在、あちこちで起きていることは、我々の意識に神的領域から目覚めを促している、ということではないでしょうか?
そして、これに預かるには、どんな条件も要らない!
道徳、信仰、修行…おっと、もっと切実なもの…お金!
私はタダでこれに預かりましたよ!
タダが一番です!無条件だから…
スピ系を生業にしている人には内緒です…。
多くのスピ系では、こうした流れを「人類意識の進化」の現れという、捉え方がなされているようです。
なるほど、私がこのような道を探究し始めた頃とは、大分周りの精神的様相が違ってきてるな、と実感させられます。
一つの特徴として、かつては気付きを得るに至るには、たゆまぬ修行、魂の磨きといったプロセスが必要だとされていたものが、特定の宗教、精神グループと関わらなくとも、ダイレクトに自己や世界の実相と繋がってしまうという即応性が挙げられるかと思います。
このような傾向は何時頃から始まったのでしょうか?
私の感覚では、平成10年頃自分自身にある気付きがもたらされた時からという認識が有ります。
この時分から、このような情報を見聞きするようになったように思うのです。
津留幸一というスピ系の教師も、確かこの頃から人々にそういう話が理解されるようになった、と言ってました。
これは人類意識に新機軸が訪れたことを物語っているのでしょうか?
ただ、意識が目覚めた一人一人が、精神的に進歩したとは言い切れないと思います。
私自身についても、勿論それで偉くなったのでも、リッパになったのでも無く、この世的に成功した訳でもありません。
相も変わらず無為徒食に明け暮れていて、いたずらに年輪を重ねてきただけです。
探究心旺盛だった若い頃の私と比べてみても、情熱、感性といった点でどうしても叶いません。
私は長年当時の私を”発展途上の人間”とみなしていたのですが、近頃認識が変わりました。
「アイツは分かっちゃってたんだ!」と…ただどうも自覚意識が足りんな!というものです。
ああ、狡猾な知恵ばかりは回ってきたようです…。
多少自覚的になったのでしょうが、何も進歩はしてない、±ゼロかも分かりません。
そして年々自覚的になって来ているものと言えば、隠れているものが顕わになってきた、ということです。
それは自覚、無自覚問わず身に覚えていたものです。
どっちにしろ、自分個人の一身上に関することではありません。
従って自分自身が進歩したとか、進化の途上にあるかどうかは関知してません。
(平成10年頃の気づきとはこういうものだったのです)
ある面では人類意識はより上なるものへと進化しているようにも見えます。
しかし、その我々のこの文明というものは、かつてないほど、滅亡の様相を呈しているように見えます。
ここには正反対の二つの観方が有るようで、実は一つのプロセスが伺われてくるようです。
我々の内奥に隠されていた神的領域、それは太古の昔も今も時空を超えて、在り続けているものです。
このもの自体には、進化も退化も無い!
そしてこのものと切り離されては、我々はどこにも進化して行かないのです。
あたかも糸の切れた凧のように、どこへ飛んで行くのか分からない…
そこには滅亡、破局が有るのみです!
やたらと意識の進化とかアセンションといった上昇志向に違和感を感じてしまうのはこんなところに有ります。
現在、あちこちで起きていることは、我々の意識に神的領域から目覚めを促している、ということではないでしょうか?
そして、これに預かるには、どんな条件も要らない!
道徳、信仰、修行…おっと、もっと切実なもの…お金!
私はタダでこれに預かりましたよ!
タダが一番です!無条件だから…
スピ系を生業にしている人には内緒です…。
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