(つづき)
昭和59年4月27日現在の「2番」「22番」「23番」「29番」の時刻表の一部。
天神郵便局前からは、以下の行先が運行されていたことがわかる。
「23番」
・西鉄三苫駅経由和白営業所行き
・(和白交差点を左折する)和白営業所行き
・快速 和白営業所行き
・西鉄三苫駅行き
・高美台行き
・快速 高美台行き
・城浜団地行き
・箱崎ふ頭経由城浜団地行き
・香椎花園行き
・香椎花園行き(牧の鼻循環)
・サニータウン行き
・下原行き
・箱崎ふ頭経由下原行き
「22番」
・立花口行き
・青柳四ツ角行き
・こもの行き
「2番」
・城浜団地行き
・香椎花園行き
香椎浜はまだなかったので、城浜団地までの運行であった。
また、都市高速道路もできる前なので、夕方に快速が運行されていたようだ。
この時点で既に行先がたくさんあった「23番」だが、その後、香椎浜地区の埋め立てや、サニータウン(香椎台)よりさらに先の住宅地(みどりが丘)の開発が進み、さらに複雑化したため、城浜団地・香椎浜方面は「22番」、香椎台・みどりが丘方面は「27番」に分割され現在に至っている。
昭和59年時点で運行されていた「22番」は、現在のものとは異なり、上記の通り、「立花口」(新宮町)「青柳四ツ角」「こもの」(古賀市)に行くものであった。
なお「22番」の都心部の終点は「中央営業所」であり、上りには古賀駅から出るものもあった。
また、こもの~香椎~和白営業所という便も運行されていた。
立花口行きは、その後「135番」→新宮町コミュニティバス「山らいず線」へ、それ以外は香椎ローカル線の「2番」へと引き継がれた。
また、当時は「2番」(上記の香椎ローカル線ではなく、福岡市内線である「金武線」)が東部地区まで足を伸ばしており、「四箇田団地~城浜団地」「野方・室住団地~香椎花園」という系統が運行されていた。
コンセプトは「西と東の副都心(西新、香椎)を結ぶ」ということだったらしいが、あまり長続きはしなかった。
同様に、この時期には「西と南の副都心(西新、大橋)を結ぶ」ということで、「49番」が西新や飯倉まで運行されていた。
(つづく)
昭和59年4月27日現在の「2番」「22番」「23番」「29番」の時刻表の一部。
天神郵便局前からは、以下の行先が運行されていたことがわかる。
「23番」
・西鉄三苫駅経由和白営業所行き
・(和白交差点を左折する)和白営業所行き
・快速 和白営業所行き
・西鉄三苫駅行き
・高美台行き
・快速 高美台行き
・城浜団地行き
・箱崎ふ頭経由城浜団地行き
・香椎花園行き
・香椎花園行き(牧の鼻循環)
・サニータウン行き
・下原行き
・箱崎ふ頭経由下原行き
「22番」
・立花口行き
・青柳四ツ角行き
・こもの行き
「2番」
・城浜団地行き
・香椎花園行き
香椎浜はまだなかったので、城浜団地までの運行であった。
また、都市高速道路もできる前なので、夕方に快速が運行されていたようだ。
この時点で既に行先がたくさんあった「23番」だが、その後、香椎浜地区の埋め立てや、サニータウン(香椎台)よりさらに先の住宅地(みどりが丘)の開発が進み、さらに複雑化したため、城浜団地・香椎浜方面は「22番」、香椎台・みどりが丘方面は「27番」に分割され現在に至っている。
昭和59年時点で運行されていた「22番」は、現在のものとは異なり、上記の通り、「立花口」(新宮町)「青柳四ツ角」「こもの」(古賀市)に行くものであった。
なお「22番」の都心部の終点は「中央営業所」であり、上りには古賀駅から出るものもあった。
また、こもの~香椎~和白営業所という便も運行されていた。
立花口行きは、その後「135番」→新宮町コミュニティバス「山らいず線」へ、それ以外は香椎ローカル線の「2番」へと引き継がれた。
また、当時は「2番」(上記の香椎ローカル線ではなく、福岡市内線である「金武線」)が東部地区まで足を伸ばしており、「四箇田団地~城浜団地」「野方・室住団地~香椎花園」という系統が運行されていた。
コンセプトは「西と東の副都心(西新、香椎)を結ぶ」ということだったらしいが、あまり長続きはしなかった。
同様に、この時期には「西と南の副都心(西新、大橋)を結ぶ」ということで、「49番」が西新や飯倉まで運行されていた。
(つづく)