(つづき)
都市部にある「狭義の終点」、福岡市博多区の「博多ふ頭」バス停。
この先には海があるので、「東若久」のときに書いた「仮定の2」が成り立たない場所ということができる。
「埠」が常用漢字ではないため、箱崎ふ頭や中央ふ頭と同様、「ふ頭」という表記になっている。
ただ、同じ西鉄バスでも、北九州市門司区にあるバス停は「田野浦埠頭」「太刀浦埠頭入口」であり、「常用漢字か否か」という観点が徹底されているという訳でもない。
私が物心ついた頃は、ここから以下の路線が運行されていた。
「63番」
【博多ふ頭~市民会館前(那の津通り上)~那の津口~天神~渡辺通一丁目~那の川~松下電器前(現在のパナソニック前)~福岡製紙前(現在の美野島南公園前)~博商前(現在の沖学園前)~東光寺~扇町~博多駅】
「69番」
【博多ふ頭~市民会館前(那の津通り上)~那の津口~天神~渕上前(現在のキャナルシティ博多前)~博多駅】
「89番」
【博多ふ頭~石城町~呉服町~博多駅】
その後、「63番」は「89番」を吸収して「南部線」から「南部循環線」となり(「循環線」とはいうものの、博多ふ頭を出て博多ふ頭に戻ってくる系統は多くなく、那の津口、扇町、博多駅などを起終点とする区間便も多かった)、さらにその後、再び2つに分かれて「博多ふ頭~石城町~呉服町~博多駅」は「89番」ではなく「83番」となった。
また、「85番」の臨時として休日に運行されていた「博多ふ頭~市民会館前(県道後野福岡線上)~天神~渡辺通一丁目~住吉~博多駅」が、定期便に昇格し「63-1番」となったこともあった。
「63番」はその後、「渡辺通一丁目、那の川経由」から「キャナルシティ、博多駅経由」となり、さらにその後、「渡辺通一丁目、住吉経由」に変更され、郊外部も、沖学園~扇町方面ではなく西鉄大橋駅に向かうようになり現在に至っている。
なお、当時の「69番」は廃止され、現在では国鉄筑肥線代替バスの番号として使用されている。
現在は、ここから「46番」「63番」「161番」が天神方面へ、「47番」「48番」が博多駅方面へ運行されている(都心から博多ふ頭に向かう路線については番号が統一され、天神方面から来るものが「90番」、博多駅方面から来るものが「99番」となっている)。
かつては、「89番」などのように、都心部内のみを走る比較的短い区間の路線が多かったが、現在は、都心部内で完結する路線は少なくなり、「郊外部←→都心部」の路線と統合されて、「郊外部←→都心部←→都心外縁部(この場合は博多ふ頭。中央ふ頭も同様)」というコースを走る路線が多くなっており、運用の効率化と都心部での折り返しスペースの節約が図られている。
なので、博多ふ頭から運行される路線は、都心部を越えて郊外部まで向かうようになっており、以前と比較すればかなり距離が伸びている。
ウォーターフロント開発の先駆けとして博多ふ頭の第一ターミナルがリニューアルし、一帯が「ベイサイドプレイス」として整備された当初(1990年代初頭)は、休日には都心からの臨時バスも出るなどかなりの賑わいを見せていたが、現在では空き店舗も目立ち、閑散としている。
現在のこの場所は、「一過性のブームに終わらせず、集客施設として魅力を維持していくにはどうすればよいか?」という命題に対する「反面教師」的な存在といえるかもしれない。
ちなみに私が子供の頃は、ここに福岡市総合図書館があり(現在はシーサイドももち地区に移転)、週末はよく訪れていた。
現在、福岡タワーのそばにはRKBとTNCが立地しているが、開局当時の福岡放送(FBS)は、写真の「博多ポートタワー」の下の建物に入っていたらしい(その後、FBSは渡辺通り→清川と南下している)。
(つづく)
都市部にある「狭義の終点」、福岡市博多区の「博多ふ頭」バス停。
この先には海があるので、「東若久」のときに書いた「仮定の2」が成り立たない場所ということができる。
「埠」が常用漢字ではないため、箱崎ふ頭や中央ふ頭と同様、「ふ頭」という表記になっている。
ただ、同じ西鉄バスでも、北九州市門司区にあるバス停は「田野浦埠頭」「太刀浦埠頭入口」であり、「常用漢字か否か」という観点が徹底されているという訳でもない。
私が物心ついた頃は、ここから以下の路線が運行されていた。
「63番」
【博多ふ頭~市民会館前(那の津通り上)~那の津口~天神~渡辺通一丁目~那の川~松下電器前(現在のパナソニック前)~福岡製紙前(現在の美野島南公園前)~博商前(現在の沖学園前)~東光寺~扇町~博多駅】
「69番」
【博多ふ頭~市民会館前(那の津通り上)~那の津口~天神~渕上前(現在のキャナルシティ博多前)~博多駅】
「89番」
【博多ふ頭~石城町~呉服町~博多駅】
その後、「63番」は「89番」を吸収して「南部線」から「南部循環線」となり(「循環線」とはいうものの、博多ふ頭を出て博多ふ頭に戻ってくる系統は多くなく、那の津口、扇町、博多駅などを起終点とする区間便も多かった)、さらにその後、再び2つに分かれて「博多ふ頭~石城町~呉服町~博多駅」は「89番」ではなく「83番」となった。
また、「85番」の臨時として休日に運行されていた「博多ふ頭~市民会館前(県道後野福岡線上)~天神~渡辺通一丁目~住吉~博多駅」が、定期便に昇格し「63-1番」となったこともあった。
「63番」はその後、「渡辺通一丁目、那の川経由」から「キャナルシティ、博多駅経由」となり、さらにその後、「渡辺通一丁目、住吉経由」に変更され、郊外部も、沖学園~扇町方面ではなく西鉄大橋駅に向かうようになり現在に至っている。
なお、当時の「69番」は廃止され、現在では国鉄筑肥線代替バスの番号として使用されている。
現在は、ここから「46番」「63番」「161番」が天神方面へ、「47番」「48番」が博多駅方面へ運行されている(都心から博多ふ頭に向かう路線については番号が統一され、天神方面から来るものが「90番」、博多駅方面から来るものが「99番」となっている)。
かつては、「89番」などのように、都心部内のみを走る比較的短い区間の路線が多かったが、現在は、都心部内で完結する路線は少なくなり、「郊外部←→都心部」の路線と統合されて、「郊外部←→都心部←→都心外縁部(この場合は博多ふ頭。中央ふ頭も同様)」というコースを走る路線が多くなっており、運用の効率化と都心部での折り返しスペースの節約が図られている。
なので、博多ふ頭から運行される路線は、都心部を越えて郊外部まで向かうようになっており、以前と比較すればかなり距離が伸びている。
ウォーターフロント開発の先駆けとして博多ふ頭の第一ターミナルがリニューアルし、一帯が「ベイサイドプレイス」として整備された当初(1990年代初頭)は、休日には都心からの臨時バスも出るなどかなりの賑わいを見せていたが、現在では空き店舗も目立ち、閑散としている。
現在のこの場所は、「一過性のブームに終わらせず、集客施設として魅力を維持していくにはどうすればよいか?」という命題に対する「反面教師」的な存在といえるかもしれない。
ちなみに私が子供の頃は、ここに福岡市総合図書館があり(現在はシーサイドももち地区に移転)、週末はよく訪れていた。
現在、福岡タワーのそばにはRKBとTNCが立地しているが、開局当時の福岡放送(FBS)は、写真の「博多ポートタワー」の下の建物に入っていたらしい(その後、FBSは渡辺通り→清川と南下している)。
(つづく)