スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メジロマックイーン&後者の場合

2007-01-30 20:25:41 | 名馬
 JRA賞の最優秀3歳牡馬に選出されたドリームジャーニー。父のステイゴールドと同様に、母の父になるメジロマックイーンも池江泰郎厩舎で競馬をした馬でした。
 3000メートルの菊花賞、3200メートルの天皇賞(春)を2回、2200メートルの宝塚記念とGⅠ4勝。これだけだと長距離を得意とするステイヤーのようですが、4歳時の天皇賞(秋)18着というのは、発走後の進路妨害を取られてのもので、実際には後続をちぎって1着で入線していて、スタミナ一辺倒ではなく、豊かなスピードも兼ね備えていた馬でした。
 で、この馬、母系を辿るとアストニシメントにいきつきます。アストニシメントは直仔から多くの系統が現存していて、NARグランプリの特別表彰馬となったブルーコンコルド第五アストニシメント系であるのに対し、こちらは第二アストニシメント系。したがってメジロマックイーンとブルーコンコルドは同じ一族ですがとても近親というには程遠い関係です。メジロマックイーンの系統を大きく繁栄させたのは三代母(曾祖母)にあたるアサマユリ。メジロ牧場を中心に枝葉を広げました。2002年の川崎記念GⅠを勝ったリージェントブラフ,同じ年の高松宮記念GⅠを逃げ切ったショウナンカンプなどがこのアサマユリからの一族になります。

 明日は新年最初のGⅠ川崎記念です。ここはアジュディミツオー◎とヴァーミリアン○の首位争いと思います。あとは2着ないし3着候補で、ボンネビルレコード△、パーソナルラッシュ△、ドンクール△という順。

 一般論からの帰結はふたつですので、それぞれをもう少し具体的に考えていくことにします。ただ、このうちの後者、すなわち、様態modusは神Deusがなくてもあることも考えるconcipereこともできるという場合については、僕はあまり問題にならないのではないかと考えています。
 というのは、それがなければあるものがあることも考えることもできない場合に、それがあるものの本性essentiaを構成するという一般論は、スピノザ以前の哲学者による本性の定義Definitioとスピノザがみなしたものですが、そうした哲学者は、スピノザのようにそれが神の本性の必然性necessitasに依拠すると考えてはいなかったかもしれませんが、少なくとも、神がなければ何もあることはできないということを同時に認めていた筈で、よってこの点に関してはスピノザとの間で論争になりようがないと思われるからです。そもそも、もしも神がなくても様態はあることも考えることもできると主張するなら、そうした哲学は無神論のレッテルを貼られるのではないかと思います。しかし実際にそのレッテルを貼られたのはスピノザの哲学であったという事実が、このことを証明していると思います。
 一応、『エチカ』にも訴えておけば、これは第一部定理一五証明され、さらに第一部定理一六も証明されれば、明白に誤りであるといえると思います。
コメント
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