昨年の阪神ジュベナイルフィリーズを勝ち、JRA賞の最優秀2歳牝馬に輝いたウオッカ。この馬もまた牝系(母系)を辿っていくとフロリースカップに辿りつきます。つまり最優秀3歳牡馬になったメイショウサムソンと合わせて2頭が、昨年はこの牝系から代表馬に選出され、この2頭でGⅠを3勝したということになります。ウオッカは第四フロリースカップ系シラオキの分枝になりますので、ここまで紹介した馬の中ではテイエムドラゴンと同じ。この馬の場合、そのシラオキからさらに2代後(つまりシラオキの孫)のローズトウショウという馬が、トウショウ牧場を中心に現在でもかなり枝葉を広げる祖となった名繁殖牝馬。昨年のサマースプリントシリーズのチャンピオンになったシーイズトウショウなどもこの系統で、現代でもなお血統的な活力を維持し、あるいは進化させています。
第一部定理一六に関連する問題についてはこれですべて片付いたと思いますので、一旦ここで、今後の話の前提となることについてまとめておきます。まず、神についていえば、僕は第一部定義六は、この定義から直接的に神の実在が導かれるという意味の実在的定義と考えていますし、仮にそれが認められないとしても、第一部定理一一においては神の実在が証明されていて、とくに第三の証明に関しては、これを覆すことは難しいであろうと思います。ですので神は実在的なものであるということになります。しかし神が実在的なものであるということが確定すれば、定理一六により個々の様態もまた実在的であるということが結論されます。なぜなら、実在的である、しかも第一部定義三に注意するなら、それ自身の必然性によって(それ自身のうちにあるというのはエチカにおいてはそういう意味なので)実在的である神の本性から必然的に生じる無限に多くの様態というのは、当然ながら実在的なものであるということになるからです。したがって、これ以降の話というのはすべて、ある実在的なものに関係するということになります。ここでは本性というのをテーマとして扱っていて、事物の本性というのは実在的なものとして考えられなければなりませんから、当たり前のことかもしれませんが、この前提は非常に重要であるということになります。
第一部定理一六に関連する問題についてはこれですべて片付いたと思いますので、一旦ここで、今後の話の前提となることについてまとめておきます。まず、神についていえば、僕は第一部定義六は、この定義から直接的に神の実在が導かれるという意味の実在的定義と考えていますし、仮にそれが認められないとしても、第一部定理一一においては神の実在が証明されていて、とくに第三の証明に関しては、これを覆すことは難しいであろうと思います。ですので神は実在的なものであるということになります。しかし神が実在的なものであるということが確定すれば、定理一六により個々の様態もまた実在的であるということが結論されます。なぜなら、実在的である、しかも第一部定義三に注意するなら、それ自身の必然性によって(それ自身のうちにあるというのはエチカにおいてはそういう意味なので)実在的である神の本性から必然的に生じる無限に多くの様態というのは、当然ながら実在的なものであるということになるからです。したがって、これ以降の話というのはすべて、ある実在的なものに関係するということになります。ここでは本性というのをテーマとして扱っていて、事物の本性というのは実在的なものとして考えられなければなりませんから、当たり前のことかもしれませんが、この前提は非常に重要であるということになります。