スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダイヤモンドレース&必然的結果

2007-01-26 22:45:50 | 競輪
 ダイヤモンドレース。やや牽制気味の発走から平原選手が誘導を追ってこのラインの前受け。上越勢が中団で、7番手に村上選手。金成選手はここを追走しました。残り2周半から村上選手がじわじわと上昇し、ホームで平原選手と並び、打鐘前のバックから踏み込んで先行態勢に。これを7番手まで引いた平原選手が残り1周のホームから一気のかまし。村上選手も突っ張りましたが平原選手のスピードがよく、バックではこのラインが出きりました。手島選手が捲りに出ましたがこれは中団で一杯。結局、車間を開けていた神山選手が直線で踏み込むと、ゴール前で粘る平原選手を捕えて1着、平原選手が2着に逃げ粘り、飯嶋選手が3着ということで、このラインの上位独占となりました。平原選手の早めの巻き返しが印象に残ったレースで、この展開でしたら順当な結果といえるでしょう。勝ち上がりには関係のないレースとあってか、思ったよりあっさりとした競走になったという印象。決勝とかであれば、また別のレースになったように思います。なお、明日が吉岡選手の引退セレモニーです。

 ここまでみてきたように、第一部定理一六の中には、様態の必然性というのは、神の必然性そのものであるということが含意されています。ところで、第一部定理一五によれば、神がなくては何もあることも考えることもできない、すなわち、無限に多くある個々の様態は、そのうちのどれひとつをとってみたとしても、神がなくてはあることも考えることもできないわけですが、仮にあるひとつの様態Aについて考える場合に、そのAが実在するという場合の必然性が、実は神が実在するということの必然性と同一であるとしたら、単にAは神がなくてはあることも考えることもできないというだけではなく、もしも神が必然的に実在するとしたら、Aはあることも考えることもできるということになると僕は考えます。そしてこの場合、Aというのはまったく任意のものなのですから、このことは無限に多くある様態のすべてに妥当することになると思います。したがって、僕は一般に次のことがいえると考えます。もしも神が実在するなら、その神が実在するという必然性によって、あらゆる(無限に多くの)様態が、あることも考えることもできるようになるのです。
コメント
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