NOAHの4月27日の日本武道館大会。丸藤組が森嶋組を降した試合の後に行われたのは,秋山組と佐々木組の試合でした。秋山組は広島大会で丸藤組に勝った後,三沢組にも勝ってこの時点での勝ち点が9。勝てば最低でも優勝決定戦には進出できる状況。一方の佐々木組はこの時点での勝ち点が6なので,優勝の望みは消えていました。
こうなるとどうしても勝っておきたいのは秋山組。この試合は開始直後からかなり激しい展開となりましたが,内容よりも勝利が重要な秋山組は,なりふり構わず中嶋選手を集中攻撃。どうしてもこのメンバーでは中嶋選手の力が劣りますから,勝利という目的のためにはこれはセオリー通りといえるでしょう。
しかしこの試合は集中攻撃にさらされた中嶋選手の踏ん張りが光る試合となりました。佐々木選手との連係の鬼嫁殺しで秋山選手を場外にダウンさせると,孤立した力皇選手に集中攻撃。最後は佐々木選手がラリアットから鬼嫁殺し。再度のラリアットからノーザンライトボムを決めて力皇選手をフォール。優勝の可能性が消えていた佐々木組ですが,最後に意地を見せるという形になりました。
この結果,秋山組は丸藤組と並んでの9点どまり。完全に可能性が消えたというわけではないのですが,優勝の行方はほぼ最後の試合の結果に委ねられることになりました。
明日からは大垣記念です。平原選手が中心になりそうです。
各々の精神の機能の相違は各々の身体の相違に関係するわけですが,これを量的観点から計るのか,それとも質的観点から計るべきなのかということは,正直なところ僕には分かりません。ただ普通に考えるなら,これはやはり両方の観点が共に影響しているとみるのが自然なんではないかという気はします。しかし,もしも量的な観点というのが,この精神の機能の相違について何らかの関係を有しているとするなら,次のような疑問を呈示することはできると思います。再び,人間の精神と馬の精神の場合で考えてみましょう。
人間の精神が馬の精神よりも総合的に有能であるということに,人間の身体を構成する個物の数と馬の身体を構成する個物の数が何らかの関係を有しているとするなら,人間の身体を組織する個物の数は,馬の身体を構成する個物の数より多いということを意味します。そこで人間の身体というひとつの物体は,第二部定義七によりいくつかの個物から構成され,それらの個物もまたいくつかの個物によって形成され,またそうした個物も同様でしょうが,このことは無際限には続きません。なぜなら,もしもこれが無際限に続くなら,馬の身体の場合にも無際限に続くことになりますから,結果的に,人間の身体を構成する個物の数が馬の身体を組織する個物よりも多いとはいえなくなるからです。一方の無際限が他方の無際限より量が多いということはあり得ないからです。
よって,一般的に精神の機能の差異が,身体を構成する個物の量に関係するなら,どこかで最も単純な個物,すなわちもうそれ以上はほかの個物に分割できない個物があると結論しなければならないと思うのです。そしてそうした個物は,それ以上は分割することができない物体,すなわちアトムであるといい得るように思えます。
こうなるとどうしても勝っておきたいのは秋山組。この試合は開始直後からかなり激しい展開となりましたが,内容よりも勝利が重要な秋山組は,なりふり構わず中嶋選手を集中攻撃。どうしてもこのメンバーでは中嶋選手の力が劣りますから,勝利という目的のためにはこれはセオリー通りといえるでしょう。
しかしこの試合は集中攻撃にさらされた中嶋選手の踏ん張りが光る試合となりました。佐々木選手との連係の鬼嫁殺しで秋山選手を場外にダウンさせると,孤立した力皇選手に集中攻撃。最後は佐々木選手がラリアットから鬼嫁殺し。再度のラリアットからノーザンライトボムを決めて力皇選手をフォール。優勝の可能性が消えていた佐々木組ですが,最後に意地を見せるという形になりました。
この結果,秋山組は丸藤組と並んでの9点どまり。完全に可能性が消えたというわけではないのですが,優勝の行方はほぼ最後の試合の結果に委ねられることになりました。
明日からは大垣記念です。平原選手が中心になりそうです。
各々の精神の機能の相違は各々の身体の相違に関係するわけですが,これを量的観点から計るのか,それとも質的観点から計るべきなのかということは,正直なところ僕には分かりません。ただ普通に考えるなら,これはやはり両方の観点が共に影響しているとみるのが自然なんではないかという気はします。しかし,もしも量的な観点というのが,この精神の機能の相違について何らかの関係を有しているとするなら,次のような疑問を呈示することはできると思います。再び,人間の精神と馬の精神の場合で考えてみましょう。
人間の精神が馬の精神よりも総合的に有能であるということに,人間の身体を構成する個物の数と馬の身体を構成する個物の数が何らかの関係を有しているとするなら,人間の身体を組織する個物の数は,馬の身体を構成する個物の数より多いということを意味します。そこで人間の身体というひとつの物体は,第二部定義七によりいくつかの個物から構成され,それらの個物もまたいくつかの個物によって形成され,またそうした個物も同様でしょうが,このことは無際限には続きません。なぜなら,もしもこれが無際限に続くなら,馬の身体の場合にも無際限に続くことになりますから,結果的に,人間の身体を構成する個物の数が馬の身体を組織する個物よりも多いとはいえなくなるからです。一方の無際限が他方の無際限より量が多いということはあり得ないからです。
よって,一般的に精神の機能の差異が,身体を構成する個物の量に関係するなら,どこかで最も単純な個物,すなわちもうそれ以上はほかの個物に分割できない個物があると結論しなければならないと思うのです。そしてそうした個物は,それ以上は分割することができない物体,すなわちアトムであるといい得るように思えます。