マイナビ女子オープン決勝五番勝負第四局。
先手は矢内理絵子女流名人。甲斐智美女流二段の作戦はごきげん中飛車。先手は③Bを選択。これは第二局と同じ。そのときは勝った後手の方から手を変えて,相銀冠へ。5筋で銀交換になった後,第1図で先手は☗6六銀と打ち,6筋に厚みを作りました。

この後,後手は4二の金を繰り出して6筋の勢力を奪還しにいったのですが,第2図の☗7七桂まで進んでみるとこれは失敗。ここで先手が優位に立ちました。

ここから先手が確実に優位を拡大して第3図へ。

ここで☖6一歩と打ってしまったので☗7三金が生じてしまい後手の投了。最後はややあっけない幕切れ。狙いはないものの☖3六歩とでも打てば,もう少し手数は伸びたでしょう。ただ☗6五桂がありますので,大勢には関係なさそうです。
これで3勝1敗。この棋戦は今期からタイトル戦になりましたので,矢内理絵子女流名人は二冠に。女流名人と共に,女王の称号を名乗ることになります。シリーズを通してみますと,第二局も敗れたとはいえ最後はかなり追い込んでいて,まだこの両者は少しだけ差があるのかなという印象です。
明日は大井で東京プリンセス賞。混戦模様でフィリアレギス◎,インカローズ○,リモーネフレイバー▲の3頭を上位にみます,後ガッツマンテン△とブルーザミント△。
アトムすなわちそれ以上は分割することができない物体corpusが実在するのかどうかということを,『エチカ』との関連で考えるとき,僕が注目してみたいと思うのは,意外に思われるかもしれませんが,個物res singularisを定義した第二部定義七なのです。
「個物とは有限で定まった存在を有する物のことと解する。(Per res singulares intelligo res, quae finitae sunt, et determinatam habent existentiam)もし多数の個体〈あるいは個物〉がすべて同時に一結果の原因であるようなふうに一つの活動において協同するならば,私はその限りにおいてそのすべてを一つの個物とみなす」。
この定義Definitioのうち,最初の一文は現在の考察との関連ではまったく関係ありません。僕が注目したいのはその後の部分です。ここから理解できることは,スピノザが個物というものを,部分から成立する全体であるとも考えていることです。そして実際に,僕たちが知覚するpercipereような個物というものはまずそうしたものであると思われますから,この定義自体はその通りなのであって,まったく問題がないものと考えられるでしょう。とくに人間の身体humanum corpusというのは,きわめて多くの個物が合成することによって成立している,きわめて複雑な個物であって,このことはスピノザ自身が第二部自然学②要請一,岩波文庫版117ページの冒頭で示している通りです。
しかし一方で,このようにきわめて複雑な個物というのが考えられるならば,同時に,逆にきわめて単純な個物,あるいは最も単純な個物というのも考えることができるのではないでしょうか。
先手は矢内理絵子女流名人。甲斐智美女流二段の作戦はごきげん中飛車。先手は③Bを選択。これは第二局と同じ。そのときは勝った後手の方から手を変えて,相銀冠へ。5筋で銀交換になった後,第1図で先手は☗6六銀と打ち,6筋に厚みを作りました。

この後,後手は4二の金を繰り出して6筋の勢力を奪還しにいったのですが,第2図の☗7七桂まで進んでみるとこれは失敗。ここで先手が優位に立ちました。

ここから先手が確実に優位を拡大して第3図へ。

ここで☖6一歩と打ってしまったので☗7三金が生じてしまい後手の投了。最後はややあっけない幕切れ。狙いはないものの☖3六歩とでも打てば,もう少し手数は伸びたでしょう。ただ☗6五桂がありますので,大勢には関係なさそうです。
これで3勝1敗。この棋戦は今期からタイトル戦になりましたので,矢内理絵子女流名人は二冠に。女流名人と共に,女王の称号を名乗ることになります。シリーズを通してみますと,第二局も敗れたとはいえ最後はかなり追い込んでいて,まだこの両者は少しだけ差があるのかなという印象です。
明日は大井で東京プリンセス賞。混戦模様でフィリアレギス◎,インカローズ○,リモーネフレイバー▲の3頭を上位にみます,後ガッツマンテン△とブルーザミント△。
アトムすなわちそれ以上は分割することができない物体corpusが実在するのかどうかということを,『エチカ』との関連で考えるとき,僕が注目してみたいと思うのは,意外に思われるかもしれませんが,個物res singularisを定義した第二部定義七なのです。
「個物とは有限で定まった存在を有する物のことと解する。(Per res singulares intelligo res, quae finitae sunt, et determinatam habent existentiam)もし多数の個体〈あるいは個物〉がすべて同時に一結果の原因であるようなふうに一つの活動において協同するならば,私はその限りにおいてそのすべてを一つの個物とみなす」。
この定義Definitioのうち,最初の一文は現在の考察との関連ではまったく関係ありません。僕が注目したいのはその後の部分です。ここから理解できることは,スピノザが個物というものを,部分から成立する全体であるとも考えていることです。そして実際に,僕たちが知覚するpercipereような個物というものはまずそうしたものであると思われますから,この定義自体はその通りなのであって,まったく問題がないものと考えられるでしょう。とくに人間の身体humanum corpusというのは,きわめて多くの個物が合成することによって成立している,きわめて複雑な個物であって,このことはスピノザ自身が第二部自然学②要請一,岩波文庫版117ページの冒頭で示している通りです。
しかし一方で,このようにきわめて複雑な個物というのが考えられるならば,同時に,逆にきわめて単純な個物,あるいは最も単純な個物というのも考えることができるのではないでしょうか。