フリオーソ,アジュディミツオーという船橋の大レース勝ち馬が回避し,やや小粒なメンバーでの争いになってしまった感もある第20回かしわ記念。
発走後,ワイルドワンダーが少し外によれましたがあまり問題なし。先手を奪ったのはケイアイフウジンでこれをケイエスゴーウェイが追い,外にシャドウゲイト。ブルーコンコルドはこの3頭の直後のインにつけました。前半の800メートルは48秒1でこれはミドルペース。
3コーナー過ぎからシャドウゲイトが上がっていき先頭に。この外を捲り気味に進出したのがワイルドワンダーで,ブルーコンコルドはその内へ。直線に入ってシャドウゲイトは下がり2頭の叩き合いになりましたが,その外を伸びたボンネビルレコードが2頭を鮮やかに抜き去って優勝。2着は最後まで叩き合いましたが,ブルーコンコルドが確保,ワイルドワンダーは3着。
優勝したボンネビルレコードは昨年の帝王賞以来の勝利で大レース2勝目。母系はダイナゴンの一族。能力はあるけれども安定しては走れないというタイプの馬で,今後も凡走することが多いと思われますが,どこかでまた大駆けすることもあるのではないでしょうか。昨年のこのレース4着,3月のダイオライト記念も2着で,船橋は意外と合っているのかもしれません。大井の的場文男騎手,堀井雅広調教師ともに帝王賞以来の大レース勝ちです。
実力上位と思われた2頭が2・3着。差はないのですがこの距離だとどうしてもワイルドワンダーはブルーコンコルドに先着できません。
明日は名古屋でかきつばた記念。これはメイショウバトラー◎が中心になります。アグネスジェダイ○とリミットレスビッド▲。そしてキングスゾーン△まで。
このようにスピノザの哲学との関連で考えてみても,現実的に存在する物体が運動するならばそれは今といえるようなときに運動するということは,確かに十分に示すことができるように思われます。そして本当にそうであるとすれば,これは第三の逆説の論理構成が十分に成立しているということを示すでしょう。このことはすなわち,運動している物体は実際には運動している間はずっと静止しているということ,すなわち運動なるものが静止状態の集積であるということを意味するに十分であるといえます。
僕の考えでは,この難点を解消するのが数列の稠密性という考え方なのだろうと思うのです。というのは,今というものは,たとえ数列が稠密であろうと指定できるかもしれません。しかしこの今の直後とか,逆に今の直前というのは,数列が稠密でない場合には指定できますが,数列が稠密でない場合には特定できなくなるからです。なぜなら,たとえば今をAとしてAの直後としてBを指定したとしても,数列が稠密である限り,AとBの間にはさらなる点があるということになりますから,BはAの直後ではないということになるからです。
したがって,今という地点だけを抽出するなら,たとえその物体が静止しているとしても,物体が運動するその運動の連続性だけは何とか確保できることになります。いい換えればこれは,単に今だけを抽出するだけではその物体は静止しているとも運動しているともいえないということを示すともいえるのですが,単に今だけを考えるならば,やはり一般的に物体は運動なるものをしない,つまり運動は静止状態の集積であるということも意味していることになると思えるのです。
発走後,ワイルドワンダーが少し外によれましたがあまり問題なし。先手を奪ったのはケイアイフウジンでこれをケイエスゴーウェイが追い,外にシャドウゲイト。ブルーコンコルドはこの3頭の直後のインにつけました。前半の800メートルは48秒1でこれはミドルペース。
3コーナー過ぎからシャドウゲイトが上がっていき先頭に。この外を捲り気味に進出したのがワイルドワンダーで,ブルーコンコルドはその内へ。直線に入ってシャドウゲイトは下がり2頭の叩き合いになりましたが,その外を伸びたボンネビルレコードが2頭を鮮やかに抜き去って優勝。2着は最後まで叩き合いましたが,ブルーコンコルドが確保,ワイルドワンダーは3着。
優勝したボンネビルレコードは昨年の帝王賞以来の勝利で大レース2勝目。母系はダイナゴンの一族。能力はあるけれども安定しては走れないというタイプの馬で,今後も凡走することが多いと思われますが,どこかでまた大駆けすることもあるのではないでしょうか。昨年のこのレース4着,3月のダイオライト記念も2着で,船橋は意外と合っているのかもしれません。大井の的場文男騎手,堀井雅広調教師ともに帝王賞以来の大レース勝ちです。
実力上位と思われた2頭が2・3着。差はないのですがこの距離だとどうしてもワイルドワンダーはブルーコンコルドに先着できません。
明日は名古屋でかきつばた記念。これはメイショウバトラー◎が中心になります。アグネスジェダイ○とリミットレスビッド▲。そしてキングスゾーン△まで。
このようにスピノザの哲学との関連で考えてみても,現実的に存在する物体が運動するならばそれは今といえるようなときに運動するということは,確かに十分に示すことができるように思われます。そして本当にそうであるとすれば,これは第三の逆説の論理構成が十分に成立しているということを示すでしょう。このことはすなわち,運動している物体は実際には運動している間はずっと静止しているということ,すなわち運動なるものが静止状態の集積であるということを意味するに十分であるといえます。
僕の考えでは,この難点を解消するのが数列の稠密性という考え方なのだろうと思うのです。というのは,今というものは,たとえ数列が稠密であろうと指定できるかもしれません。しかしこの今の直後とか,逆に今の直前というのは,数列が稠密でない場合には指定できますが,数列が稠密でない場合には特定できなくなるからです。なぜなら,たとえば今をAとしてAの直後としてBを指定したとしても,数列が稠密である限り,AとBの間にはさらなる点があるということになりますから,BはAの直後ではないということになるからです。
したがって,今という地点だけを抽出するなら,たとえその物体が静止しているとしても,物体が運動するその運動の連続性だけは何とか確保できることになります。いい換えればこれは,単に今だけを抽出するだけではその物体は静止しているとも運動しているともいえないということを示すともいえるのですが,単に今だけを考えるならば,やはり一般的に物体は運動なるものをしない,つまり運動は静止状態の集積であるということも意味していることになると思えるのです。