距離はメートル,重さはキログラム,時間は秒でそれぞれ表示する。これはMKS単位といわれ,世界規準になっています。ところが,競馬の世界ではこれが守られていません。お気付きになった方もいらっしゃると思いますが,カジノドライヴが勝ったピーターパンステークスは,11/8マイルという距離で争われました。このように,アメリカのレースはマイルで表されます。ベルモントステークスは11/2マイル。僕は距離が600メートルほど伸びると書きましたが,厳密には1マイルは1600メートルより少し長いので,実際に伸びる距離というのも600メートルより少し長いのです。
これに関連して笑い話のような実話があります。カジノドライヴの藤沢調教師は,かつてタイキブリザードという馬をオークツリーBCマイルというレースに出走させたことがありました。このレースは,芝1マイル以上のGⅠを勝ったことがある馬に重い斤量が課せられるという条件でした。タイキブリザードはその年の安田記念を勝っていたので,その条件に当て嵌まるとされ,その斤量で出走すると発表されたのですが,陣営が安田記念は1600メートルで,厳密には1マイルより短いからこれはおかしいと主催者に主張したところ,この訴えが認められて,最初に発表された斤量より軽い斤量で走ることができたのです。
距離だけではありません。斤量の方もアメリカ競馬ではキログラムではなくポンドが単位。ピーターパンステークスで日本の2頭が背負ったのは116ポンドでした。
それぞれの国にはそれぞれの文化があります。ですから国内でそうした単位を用いることは別に構わないでしょう。しかし競馬はいまや国際的スポーツ。ならばやはり距離はメートル,斤量はキログラムで示すべきだろうと僕は思います。競馬の世界でもMKS単位が早く国際基準になってほしいと思っています。
明日は浦和でさきたま杯。ここはJRA4頭の争いになりそう。メイショウバトラー◎,コンゴウリキシオー○,リミットレスビッド▲,アグネスジェダイ△。
物体が運動する場合にはその物体はある位置にはないという主張は,文章そのものがおかしいと感じられるかもしれません。しかし必ずしもそんなことはないということを,きわめて一般的な視点から先に説明しておきます。
問題は,このある位置というのが,どのような位置であるのかという点にあります。そしてここでの考察においては,これはゼノンの主張の方から生じてくるわけです。つまり,ゼノンが物体が運動すれば今運動するのだと主張するとき,これは物体は運動する場合にはある位置で運動するのであると置き換えることが可能であって,このある位置というのが問題となっているのです。よってここでいっているある位置とは,時間と場所との関係でゼノンがそのように主張しなければならない位置,すなわちそれ以上は分割することができないような位置のことを意味します。
そこでこの位置をAとしましょう。こう考えれば,物体がAにおいて運動しないのは,ある意味では当然であるといえます。なぜなら,物体はAからBに移動するから,運動するといえるわけです。ところがAという位置は,それ以上は分割することができないような位置なのですから,物体がこのAにある限り,その物体がこのAのうちで運動することができないのは当然でしょう。ですから,物体が運動する場合には,その物体はある位置にはないと主張すること自体は,それ自体で不条理であるとはいえないということになるのです。
これに関連して笑い話のような実話があります。カジノドライヴの藤沢調教師は,かつてタイキブリザードという馬をオークツリーBCマイルというレースに出走させたことがありました。このレースは,芝1マイル以上のGⅠを勝ったことがある馬に重い斤量が課せられるという条件でした。タイキブリザードはその年の安田記念を勝っていたので,その条件に当て嵌まるとされ,その斤量で出走すると発表されたのですが,陣営が安田記念は1600メートルで,厳密には1マイルより短いからこれはおかしいと主催者に主張したところ,この訴えが認められて,最初に発表された斤量より軽い斤量で走ることができたのです。
距離だけではありません。斤量の方もアメリカ競馬ではキログラムではなくポンドが単位。ピーターパンステークスで日本の2頭が背負ったのは116ポンドでした。
それぞれの国にはそれぞれの文化があります。ですから国内でそうした単位を用いることは別に構わないでしょう。しかし競馬はいまや国際的スポーツ。ならばやはり距離はメートル,斤量はキログラムで示すべきだろうと僕は思います。競馬の世界でもMKS単位が早く国際基準になってほしいと思っています。
明日は浦和でさきたま杯。ここはJRA4頭の争いになりそう。メイショウバトラー◎,コンゴウリキシオー○,リミットレスビッド▲,アグネスジェダイ△。
物体が運動する場合にはその物体はある位置にはないという主張は,文章そのものがおかしいと感じられるかもしれません。しかし必ずしもそんなことはないということを,きわめて一般的な視点から先に説明しておきます。
問題は,このある位置というのが,どのような位置であるのかという点にあります。そしてここでの考察においては,これはゼノンの主張の方から生じてくるわけです。つまり,ゼノンが物体が運動すれば今運動するのだと主張するとき,これは物体は運動する場合にはある位置で運動するのであると置き換えることが可能であって,このある位置というのが問題となっているのです。よってここでいっているある位置とは,時間と場所との関係でゼノンがそのように主張しなければならない位置,すなわちそれ以上は分割することができないような位置のことを意味します。
そこでこの位置をAとしましょう。こう考えれば,物体がAにおいて運動しないのは,ある意味では当然であるといえます。なぜなら,物体はAからBに移動するから,運動するといえるわけです。ところがAという位置は,それ以上は分割することができないような位置なのですから,物体がこのAにある限り,その物体がこのAのうちで運動することができないのは当然でしょう。ですから,物体が運動する場合には,その物体はある位置にはないと主張すること自体は,それ自体で不条理であるとはいえないということになるのです。