スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

シンガポール航空国際カップ&相違の根拠

2008-05-19 19:53:20 | 海外競馬
 コスモバルクが3年連続で出走することになったシンガポール航空国際カップGⅠ(動画=Race8)。今年は昨日争われました。
 コスモバルクは出遅れ。レースは地元のChevronが逃げたのですがこれが大逃げ。2番手以降は一塊という態勢で,コスモバルクは後方5・6番手あたりのイン。切れ味に勝るというタイプではないだけに,やや苦しい位置取りとなってしまいました。
 直線に入るところではChevronのリードもだいぶ縮まり,外へ持ち出す馬も多く,一気に馬群が横に広がる形に。コスモバルクはそのままインを回ったので,ここで順位は一気に上がりました。直線もそのまま内から伸び,最後は2・3番手から抜け出したJat Pegの2着争いの一団までは加わってきたものの6着まで。展望に示したように,もう少し前でJay Pegをマークできるような位置取りであれば,違ったレースができたと思われ,またこの馬は並んで強いタイプでもありますので,出遅れが少し残念でした。

 明日は宇都宮記念の決勝です。並びですが,岡部には小野。武田-神山-手島の関東。中部は小嶋の後ろを北野と浜口の両者が主張。南は単騎。これだと関東勢が有利そうです。

 こうしたことを基にして,人間の精神と馬の精神の機能の相違の根拠を考えてみます。これは結局のところ,人間の身体と馬の身体の相違に還元することができるわけですが,このとき,これを量的な側面と,質的な側面という,ふたつの側面から考えることができるように思えるのです。
 もしもこれが量的な側面から考えられるとしたら,これは,人間の精神が馬の精神に対して,総合的な観点からはより有能であるといえることの根拠は,人間の身体を構成する個物の量が,馬の身体を構成する個物の量よりもより多いからであるということになると思います。もちろんこれは,馬の身体を構成する個物のすべてを人間の精神が含んでいるということを意味するわけではありません。実際,馬の身体にはなし得て,人間の身体にはなし得ないこと,同じように馬の精神にはなし得るが人間の精神にはなし得ないことがあるからです。しかし単純にその数を比較すれば,人間の身体を構成する個物の方が多いというのがこの考え方です。したがってこの場合,人間の身体が複雑であるということの意味は,それだけ多くの個物によって組織されているという意味になります。確かに,単純に考えても,もしもAを組織する個体の数が,Bを組織する個体の数より多いのであれば,一般的な意味からしても,総合的にはAの方がBよりも複雑であるといい得る筈で,各々の精神の機能の相違の根拠を,それらの身体を構成する個物の量から判断することは可能であるといえると思います。
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