京王閣記念の決勝。並びは平原‐河村の埼京,根田‐中村‐和田の千葉,郡司‐萩原の南関東で山崎と村上は単騎。
前受けは平原。3番手に郡司,5番手に山崎,6番手に根田,最後尾に村上で周回。残り2周のホームでまず動いたのが郡司。平原を叩いて誘導は退避。3番手に平原,5番手に山崎,6番手に根田,最後尾に村上という隊列に変化。バックから根田が発進。打鐘過ぎに郡司を叩いて先行。平原が村上をどかして和田の後ろに。河村が離れてしまい,平原の後ろに郡司という隊列になりました。バックから平原が発進し,郡司がそれに乗る形。ただ,平原はあまり自転車が出ていかず,牽制した中村の横まで。直線は根田と中村の間を和田が矢のように伸びて優勝。中村が1車身差の2着で千葉のワンツー。平原は半車輪差で3着。
優勝した千葉の和田健太郎選手は前々回出走の高知のFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年6月の函館記念以来の2勝目。このレースは南関東勢が5人で結束はせず,別のラインで戦いましたが,郡司が根田の邪魔をするということはあり得ず,平原が先行するということもないでしょうから,わりと楽に根田が先行できそうに思えました。まず郡司が平原の前に出たのは,よい位置を取るためだったかもしれませんが,根田が先行しやすくするためだったかもしれません。番手の中村が有利には違いありませんが,差し脚は和田の方が強烈ということは最近のレースから明らかでした。それにしても鋭い伸びだったと思います。
4月9日,火曜日。妹の通所施設の支援課長のNさんから,午後7時に電話がありました。翌日の午後2時から保護者会を開催するという旨でした。僕は決定している予定を変更することが困難な立場であるわけではありません。ですが翌日の午後は川崎に行くことになっていて,さすがに前日の夜にこれを変更するというのは無理でした。ですのでこの保護者会には僕は参加していません。3月22日に説明会があり,それには僕も参加しましたが,グループホームの利用者の保護者のすべてがそれに参加していたわけではありません。このように,保護者会というのは必ず参加しなければならないというものではないのです。
4月11日,木曜日。回向でした。午後1時半から30分ほどです。お寺の新しい会堂,納骨堂も含まれる新しい建物ですが,その完成が間近に迫っているとのことでした。3月21日の彼岸会に参加したとき,建物はもちろん内装もほぼ完成していて,あとは必要な物品の納入を待つという段階にまで達していました。見学が可能ということでしたので,僕はその日に見学はしたのです。お寺の入口は本堂の手前にあるのですが,この会堂には会堂専用の入口があり,そこから入るとすぐ右側に受付があります。1階は食堂になっていて,食堂の横に台所があります。母の遺骨を納骨する予定の納骨堂は2階にあり,階段でも上がれますが,エレベーターもついていました。僕たちは必ずそこを利用することになりますので,この日に導師からその会堂の使用規則と,契約書を受け取りました。
4月12日,金曜日。この日の午前中に,3月28日にフレームの交換を依頼しておいた眼鏡を,ショッピングモール内のチェーン店まで取りに行きました。3日には完成していた筈ですが,なかなか取りに行くだけの時間を作ることができなかったのです。新しいフレームはこれまでのものより小さいものです。したがって,レンズも周囲を削ったことになります。もちろんそれで見え方に問題が発生するわけではありません。レンズをフレームに合わせるのではなく,レンズに適したフレームを使用するからです。予備の眼鏡を使ったのもこの日まででした。
前受けは平原。3番手に郡司,5番手に山崎,6番手に根田,最後尾に村上で周回。残り2周のホームでまず動いたのが郡司。平原を叩いて誘導は退避。3番手に平原,5番手に山崎,6番手に根田,最後尾に村上という隊列に変化。バックから根田が発進。打鐘過ぎに郡司を叩いて先行。平原が村上をどかして和田の後ろに。河村が離れてしまい,平原の後ろに郡司という隊列になりました。バックから平原が発進し,郡司がそれに乗る形。ただ,平原はあまり自転車が出ていかず,牽制した中村の横まで。直線は根田と中村の間を和田が矢のように伸びて優勝。中村が1車身差の2着で千葉のワンツー。平原は半車輪差で3着。
優勝した千葉の和田健太郎選手は前々回出走の高知のFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年6月の函館記念以来の2勝目。このレースは南関東勢が5人で結束はせず,別のラインで戦いましたが,郡司が根田の邪魔をするということはあり得ず,平原が先行するということもないでしょうから,わりと楽に根田が先行できそうに思えました。まず郡司が平原の前に出たのは,よい位置を取るためだったかもしれませんが,根田が先行しやすくするためだったかもしれません。番手の中村が有利には違いありませんが,差し脚は和田の方が強烈ということは最近のレースから明らかでした。それにしても鋭い伸びだったと思います。
4月9日,火曜日。妹の通所施設の支援課長のNさんから,午後7時に電話がありました。翌日の午後2時から保護者会を開催するという旨でした。僕は決定している予定を変更することが困難な立場であるわけではありません。ですが翌日の午後は川崎に行くことになっていて,さすがに前日の夜にこれを変更するというのは無理でした。ですのでこの保護者会には僕は参加していません。3月22日に説明会があり,それには僕も参加しましたが,グループホームの利用者の保護者のすべてがそれに参加していたわけではありません。このように,保護者会というのは必ず参加しなければならないというものではないのです。
4月11日,木曜日。回向でした。午後1時半から30分ほどです。お寺の新しい会堂,納骨堂も含まれる新しい建物ですが,その完成が間近に迫っているとのことでした。3月21日の彼岸会に参加したとき,建物はもちろん内装もほぼ完成していて,あとは必要な物品の納入を待つという段階にまで達していました。見学が可能ということでしたので,僕はその日に見学はしたのです。お寺の入口は本堂の手前にあるのですが,この会堂には会堂専用の入口があり,そこから入るとすぐ右側に受付があります。1階は食堂になっていて,食堂の横に台所があります。母の遺骨を納骨する予定の納骨堂は2階にあり,階段でも上がれますが,エレベーターもついていました。僕たちは必ずそこを利用することになりますので,この日に導師からその会堂の使用規則と,契約書を受け取りました。
4月12日,金曜日。この日の午前中に,3月28日にフレームの交換を依頼しておいた眼鏡を,ショッピングモール内のチェーン店まで取りに行きました。3日には完成していた筈ですが,なかなか取りに行くだけの時間を作ることができなかったのです。新しいフレームはこれまでのものより小さいものです。したがって,レンズも周囲を削ったことになります。もちろんそれで見え方に問題が発生するわけではありません。レンズをフレームに合わせるのではなく,レンズに適したフレームを使用するからです。予備の眼鏡を使ったのもこの日まででした。