それを考察するための前提がすべて出揃いましたので,第四部序言および第四部定義二でスピノザが悪malumを善の否定として規定している,いい換えれば悪を善bonumの反対概念とは規定していない理由を考察していきます。
現実的に存在する人間にとっての善悪は,あくまでも個別の善悪です。善悪それぞれに一般的概念notiones universalesがあって,ある事象はそれに見合うから善であるとか悪であると認識されるのではありません。個別の事象が善であるあるいは悪であると認識され,それらの総体が一般的に善といわれまた悪といわれるだけのことです。
したがってある特定の事象,たとえばXという事象が,現実的に存在するある人間たとえばAには善と認識されるけれどもそれとは別の人間であるBには悪と認識されるということが生じ得ます。同様に,XをAはあるときには善と認識するcognoscereけれどもそれとは別のときには悪と認識するというようなことも生じ得ます。こうしたことは第三部定理五一によって証明することができます。
現実はこのようになっているのですが,これだとひとつ大きな難点が生じてしまいます。それは第四部序言でいわれている本性の型と善悪を関連付けて説明できなくなってしまうということです。人間の本性の型というのは,現実的に存在するすべての人間に合致するような型でなければなりません。ところが異なった人間が同じものを善と認識したり悪と認識したりするのであれば,人間の本性の型からみた善悪というのを考察することはできません。同様に同じ人間が同じものをあるときには善と認識し別のときには悪と認識するのであれば,やはり同様に人間の本性の型からみた場合の善悪というのを考察することができません。
これを解決するためには,その本性の型からみた人間が,善悪を確知するcerto scimusということを一般的にいえるようにしなければなりません。その手段として,善の否定としての悪があるというように僕は解します。
血糖値の正常値,これは空腹時の正常値ですが,下限値が70㎎/㎗で,上限値は109㎎/㎗となっています。ですから血液検査の結果が110㎎/㎗だと,上限値をオーバーしていると判定されます。ただ僕の場合は110㎎/㎗前後が,最も快調であって,90㎎/㎗くらいまでは何ら問題ありません。ただ80㎎/㎗くらいになると,正常値の範囲ではありますが,不調を感じることがあります。高くなる場合にはっきりと不調を感じるのは,200㎎/㎗くらいになってからで,これくらいになるとやや身体に重さを感じるようになります。
ただしこれは日中に動いているときです。僕は眠るときには,110㎎/㎗くらいだと,寝付くのにやや時間が掛かります。130㎎/㎗くらいあればさほど問題はありませんが,もう少し高い,150㎎/㎗くらいのときが,よく値付けますしまた熟睡することができます。眠っている間に血糖値が下がるのは,僕の場合には持続効果型のインスリンであるトレシーバを打っている影響ですが,睡眠中も血糖値が下がるということと,就寝前には血糖値がやや高い方が楽であるということには,何らかの関係があるのかもしれません。いずれにしても,僕は空腹時血糖値の上限より高い方が,日常生活を送る上で身体的には楽になっています。よってHbA1cも,上限値である6.2%を上回る方が,身体的には楽であるのです。他面からいえば,10月の通院のときのようにHbA1cが正常の範囲内であるというときは,低血糖を発症しているケースも含め,身体的に楽になっているというわけでは必ずしもないのです。
この日に,グループホームとの契約書をコピーしました。僕の家には以前はプリンターがあって,それでコピーをすることができましたが,故障してからは新しいものを買っていません。僕はプリンターは絶対に必要としているわけではないからです。ですからコピーも家ではできませんから,これはコンビニエンスストアなどのコピー機を利用したということです。これは,受給者証を更新するためには,グループホームの家賃が資料として必要で,その部分を契約書の中からコピーするためでした。
現実的に存在する人間にとっての善悪は,あくまでも個別の善悪です。善悪それぞれに一般的概念notiones universalesがあって,ある事象はそれに見合うから善であるとか悪であると認識されるのではありません。個別の事象が善であるあるいは悪であると認識され,それらの総体が一般的に善といわれまた悪といわれるだけのことです。
したがってある特定の事象,たとえばXという事象が,現実的に存在するある人間たとえばAには善と認識されるけれどもそれとは別の人間であるBには悪と認識されるということが生じ得ます。同様に,XをAはあるときには善と認識するcognoscereけれどもそれとは別のときには悪と認識するというようなことも生じ得ます。こうしたことは第三部定理五一によって証明することができます。
現実はこのようになっているのですが,これだとひとつ大きな難点が生じてしまいます。それは第四部序言でいわれている本性の型と善悪を関連付けて説明できなくなってしまうということです。人間の本性の型というのは,現実的に存在するすべての人間に合致するような型でなければなりません。ところが異なった人間が同じものを善と認識したり悪と認識したりするのであれば,人間の本性の型からみた善悪というのを考察することはできません。同様に同じ人間が同じものをあるときには善と認識し別のときには悪と認識するのであれば,やはり同様に人間の本性の型からみた場合の善悪というのを考察することができません。
これを解決するためには,その本性の型からみた人間が,善悪を確知するcerto scimusということを一般的にいえるようにしなければなりません。その手段として,善の否定としての悪があるというように僕は解します。
血糖値の正常値,これは空腹時の正常値ですが,下限値が70㎎/㎗で,上限値は109㎎/㎗となっています。ですから血液検査の結果が110㎎/㎗だと,上限値をオーバーしていると判定されます。ただ僕の場合は110㎎/㎗前後が,最も快調であって,90㎎/㎗くらいまでは何ら問題ありません。ただ80㎎/㎗くらいになると,正常値の範囲ではありますが,不調を感じることがあります。高くなる場合にはっきりと不調を感じるのは,200㎎/㎗くらいになってからで,これくらいになるとやや身体に重さを感じるようになります。
ただしこれは日中に動いているときです。僕は眠るときには,110㎎/㎗くらいだと,寝付くのにやや時間が掛かります。130㎎/㎗くらいあればさほど問題はありませんが,もう少し高い,150㎎/㎗くらいのときが,よく値付けますしまた熟睡することができます。眠っている間に血糖値が下がるのは,僕の場合には持続効果型のインスリンであるトレシーバを打っている影響ですが,睡眠中も血糖値が下がるということと,就寝前には血糖値がやや高い方が楽であるということには,何らかの関係があるのかもしれません。いずれにしても,僕は空腹時血糖値の上限より高い方が,日常生活を送る上で身体的には楽になっています。よってHbA1cも,上限値である6.2%を上回る方が,身体的には楽であるのです。他面からいえば,10月の通院のときのようにHbA1cが正常の範囲内であるというときは,低血糖を発症しているケースも含め,身体的に楽になっているというわけでは必ずしもないのです。
この日に,グループホームとの契約書をコピーしました。僕の家には以前はプリンターがあって,それでコピーをすることができましたが,故障してからは新しいものを買っていません。僕はプリンターは絶対に必要としているわけではないからです。ですからコピーも家ではできませんから,これはコンビニエンスストアなどのコピー機を利用したということです。これは,受給者証を更新するためには,グループホームの家賃が資料として必要で,その部分を契約書の中からコピーするためでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます