書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○先天的欠陥。

2019年04月20日 12時46分59秒 | 意識論関連
統合性のある論理的検証というものをせずに 特定の事柄だけを基準にした無責任な「評価」というものを 文科系大衆やマスコミは平気でする

水爆開発に異常執着した科学者を取り上げて あたかも「科学者だけが異常である」かのように形容したり

武力による支配地域や権力の拡大だけを取り上げ「偉人」扱いしたりするのは

社会安全性という人間としての目的を蔑ろにした身勝手で無責任な観念である

人間としての「目的」とは 社会安全性である

安全性というのはヒトのあらゆる行為の基盤であり 安全性無くしてどんなに世間的に成功しても意味がないのである



ヒトの多くは 権力者や金持ちや人気者を短絡的に「偉い」と形容するが 単に権力を持っただけでは人間性の論証には全くならない

金と権力と人気だけなら ナチス政権下のヒトラーにもあったのである

歴史書の多くでは ナチス以前の武力支配や侵略はやたらと英雄扱いするが 武力による覇権争いである以上 残虐であることに違いなどない

ヒトの残虐性というものを 英雄扱いによって美化するような無責任で身勝手な分析に基づいた形容をしているからこそ 権力や金や人気取りこそが人間としての価値であるかのような錯覚をもたらし 世間的成功や多数からの評価や報酬ばかりを人々は追求するようになってしまうのである

やれピュリッツア賞だの文化功労賞だのといった文科系大衆観念に基づいた非論理的評価というものは 内容に社会安全性に対しての配慮が全く欠けており 極めて無責任な「お伽話」「お花畑」妄想にしかなっていない

「数人殺せば殺人犯だが 数万人殺せば英雄」扱いするような支離滅裂な「評価」こそが 意味の解らぬ犯罪者の犯行動機に結びついているのであって

「多数派の間違いであれば 罪が薄まる」かのような まるでサブプライム金融のような無責任さを 大衆は発揮していると言える

「一つの重大事象の陰には 無数の小さな事象が隠れている」 これはハイリッヒの法則である

テロや通り魔などの残虐な行為の陰には 無数の大衆の中の小さな残虐性や非合理な支離滅裂さが隠れているのである

自分自身の中にある異常性や非合理性や残虐性というものを 自律的に認識していないからこそ 「こんな奴は死刑にしちまえ!」などという短絡安易な最終解決に同調して満足するという非合理な行動にも疑問を持たなくなる

相模原障害者施設虐殺事件の植松聖の異常性の源というのは 本当は統合的論理検証を著しく欠いた文科系大衆観念の中にある

「ヒトという種の生物」は先天的に「人間としては欠陥品」なのである

ヒトという種の生物は 自然現象に過ぎない遺伝的進化の「結果」でしかなく そこに目的関数のようなものは存在しておらず 不条理な欠陥があっても何の不思議もない



「東京大学名誉教授」や「京都大学学長」などという肩書さえあれば 人々は短絡的に「頭が良い」とか「偉い」などと思い込むのであろうが その短絡性こそが無責任な大衆観念的「評価」を作り出し 様々な「人災」に対する再発防止への論理的分析を阻害しているのである

科学や哲学というのは 純粋に論理的に真理を探求するものであって 世間的評価や人気というのは芸術やスポーツ競技で競えば良いのである

真理というものは安全性に直結しているからこそ 公金を用いて行われる価値があるのであって 大衆人気を目的に科学的論理検証を蔑ろにしているのであれば公金の無駄遣いであり 科学者や哲学者としての「背任」でもある

それが罪に問われないのは 単なる脱法詐欺に過ぎないからだ



Ende;
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○踏み間違い。

2019年04月19日 22時14分35秒 | 日記
またアクセルとブレーキを踏み間違える自動車事故が発生した

何とかならんものか

トヨタもスープラこさえるよか先にやらなきゃアカンことあるだろうと

アクセルペダルとブレーキペダルが見えない足元に並んで配置されているのをやめるとか

アクセルはハンドル横のレバー式にするとか

もっと根本的構造から間違いを無くす設計に変更すべきなんじゃないかと

オイラは思う

踏み間違い事故の報道を聞く度 自動車が怖いので乗りたい意欲が削がれる

それも「車離れ」の一因にもなっているんじゃないかと思う

政府主導で踏み間違いのない自動車の開発をしても良いんじゃなかろうかと

 ◇

4月21日に神戸でも路線バスが暴走する事故が起きて

運転手は「ブレーキを踏んでいた」というのだが 後続車のドライブレコーダー映像ではブレーキランプが点灯していないので やっぱり踏み間違いの可能性がある

オイラも若い時に一度踏み間違いをしたことがあって その時は一瞬で踏み変えられたんだけど

ブレーキペダルっていうのは基本的に奥まで踏み込むものなので その感覚でアクセル踏んじゃうとかなりヤバいことになる

足許の見えないペダルを「感覚」だけで踏み別けるという構造的問題なんだと

オイラは思うよ

踏み間違うことを前提とした対応訓練みたいのをやっても良いんじゃなkろうかと思う

 ◇

 ◇

また今年もイヌサフラン喰っちまった奴がおる

もうね ギョウジャニンニクは素人が扱っちゃいけないことにしようよ

何回同じ失敗を繰り返すんだろう

報道によると知人から貰ったのだという

ギョウジャニンニクは貰っても食べない方が良いよ

そんなに美味いのか ギョウジャニンニクって

イヌサフラン事故って春先限定なので マスコミも4月頃に予防的に過去の事故を報道しておいても良いかもしれない



Ende;
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○本村凌二。

2019年04月19日 14時50分56秒 | 意識論関連
本村凌二は「政治家が原稿を棒読みするよりも 自分の言葉で話した方が信頼出来る」などと述べていたが

アドルフ:ヒトラーが感情的に演説することで人気を得たからといって「信頼して良い理由」にはならん

「信頼したい」かどうかは主観的感覚に過ぎず 多数大衆からの人気を得たからといって人間としての価値の論証には一切ならない

こういう考えの浅い薄っぺらなバカが未だに早稲田で歴史を教えているらしい

これもまた哲学界の怠慢による弊害である



本村 凌二は、日本の歴史学者。専門は古代ローマの社会史。東京大学名誉教授。サントリー学芸賞、地中海学会賞、JRA賞馬事文化賞受賞。 生年月日: 1947年5月1日 -Wikipedia

文化功労賞やピュリッツア賞同様に 文科系大衆観念に基づいた評価というのは学術的には意味がないことを認識すべきである

 ◇

歴史家の多くは武力を用いた支配地域の面積や人口を根拠に支配者の評価をしており

故に歴史から社会安全性についての知見や歴史上の失敗に対する「教訓」が全然出てこないのである

あらゆる学問は 社会安全性を目的とした分析をしなければならない そうでなければ公金を用いる価値などないからである

世間的にどんなに成功しようとも 人気が得られようとも それが人間性の根拠には一切ならない

しかし ヒトの多くは目先の利己的成功ばかりを求め 最も優先されるべき安全性についての配慮を簡単に見失うようになる

こうした一種の「錯覚」によって 歴史分析もまた無責任な世間的成功ばかりを基準に「偉人」などと形容し 戦国武将のような暴力支配者までをももてはやすことにより 「歴史的犯罪」などという身勝手な観念を醸成してしまう原因ともなっているのである

戦国時代というのは 今で言えばアフガニスタンの軍閥による支配競争状態のようなものであり 時代の価値観自体が社会安全性を欠いた政情不安を招く「失敗」状態なのである

単に支配面積や支配人口といった規模だけを根拠に歴史上の支配者を「偉人」扱いすることは 支配者個人の人格を一切考慮に入れておらず 何ら社会安全性についての論理的「教訓」が全く出てこない原因であり 歴史研究という分野が実質的に社会安全に役に立たたない税金の無駄遣いにしかなっていない

これは学問としては痴呆状態である

 ◇

欲得づくの世間的成功を あたかも人間としての価値の絶対基準として扱うのは 生徒から自律を失わせ社会安全性を著しく害する危険な思想である

本当の人間性に基づいた行動選択というものは 必ずしも世間的成功を伴う保証はなく 場合によっては逆に大損害を被ることも決して珍しいものではない

公益性に基づいた内部告発においても 裏切り者として差別排除の対象にされることは良くあることである

多数の人心を操り暴力的独裁に成功したからといって人間性の論証にはならない

多数の大衆が主観的に「信じたい」という観念を抱くような行動や言動によって人気を得たとしても それは社会安全性を脅かすことはあっても 向上させる方向には働くことはない

大衆の多くがバカであれば バカが好む指導者に多数人気が集まることになり それが暴走破綻を招いたことは歴史上幾度と繰り返されてきたことである

にも関わらず 「原稿を棒読みするよりも 自分の言葉で感情を込めて演説した方が信頼が得られる」などという観念論は 言っている内容の合理的検証をすっ飛ばした短絡的大衆迎合や意識誘導(洗脳)であり

教育者としてあまりに無責任で適性を著しく欠いている

こうした論理的合理性を欠いた観念こそが あらゆる「人災」への合理的対策を阻害しているのである



Ende;
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○やっぱりとりとめはない。

2019年04月19日 11時02分44秒 | 写真
川口金属

ググると免振ダンパーの検査偽装記事が出てくる老舗の金属加工会社

曇り空だったけど 夕方数十秒間だけ夕焼け色が見れた


北区豊島5丁目

北区なのに豊島っていう地名だったり 練馬区にとしま園があったりするのは 明治時代とかの東京市の名残りらしい

浮間舟渡駅の裏の路地に よく自転車が放置されているんだけど 多分盗難車だと思う

同一人物の犯行なんじゃないだろうか



赤外線の記事がランクインしてきたんだけど

そういえばEOSでテレビリモコンの赤外線LEDを撮影したことないなと思って撮影してみた

NikonS230だと緑色っぽく写ったけど EOSだと赤っぽく写った

当然肉眼では全く見えない

一応言っておくけど 見えないからって無理矢理見ようとすると眼に悪いかも知れないからやめてね



そういや今日は満月だった

天気予報だと夕方から東の方角が曇るそうな

一応カメラのバッテリーは充電しとこうと思う



あと キヤノンがEOS Kiss X10っての出してきて

何が違うんかと思ったら 電池の消費量がかなり違うそうな

X9が650枚なのに対して X10は1070枚も撮れるという

バッテリーは変わってない

ストロボ使わなきゃ13001630枚だとか

地味だけど 実使用上とても使い易くなると思う

バッテリーの残量心配しながら撮るのって切ないのよね



Ende;
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○本当の異常者は誰なのか。

2019年04月18日 23時41分06秒 | 意識論関連
NHK Eテレ「フランケン:シュタインの誘惑」では 水爆開発の中心人物であるエドワード・テラーだけを根拠に「科学者だけが異常である」かのような形容の仕方をするのは論理が飛躍しており 番組制作者の主観的観念に基づいた科学者差別である

異常者というのは別に科学者に限ったものではない

文科系マスコミというのは 山極寿一京大学長や松沢哲郎などの生物学者達による「ヒトには先天的に人間性が組み込まれいているはずである」などという論理的根拠のない嘘は簡単に鵜呑みにしておきながら 特定の異常な科学者だけを根拠に あたかも「科学者の全てが異常である」かのような解釈を促すような形容の仕方は 非常に主観的身勝手で差別的発言であり無責任という他ない

取材調査による事実を公表することは良いことだが 論理的分析をせずに制作者の身勝手な主観的観念を基に根拠のない形容をするのは社会的に無責任である

人格異常というのはあくまで評価承認欲求中毒が原因であって 科学者であるかどうかとは関係がない



エドワード:テラーは晩年ピアノばかりを弾いていたという

テラーは純粋に水爆開発がしたかったのではなく 水爆開発によって「評価されること」が目的だったのである

これは 養老孟司が退官後に昆虫の研究ばかりしているのと同様に 脳についての支離滅裂な非科学的オカルト話をしたがるのも 論理科学的思考の出来ない世間大衆からの人気評価が目的だからである

本当に純粋に好きで研究しているのであれば他人からの評価に頼らず自律的判断が出来るが 他人からの評価を目的にしていれば自律が失われるのは必然である

科学者としてあるべき姿とは ガリレオ:ガリレイのように火炙りにされようとも科学的真理を主張することであり 遺伝子の研究で有名なメンデルのように生前誰からも評価されずとも生涯研究を続ける姿である

文科系マスコミ制作者達の多くによる 主観的観念に基づく身勝手で無責任な非論理的検証「評価」こそが 論理客観的真理を見失わせるものであり

社会安全性にとって重大な悪影響を及ぼす要因でもある



Ende;
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○カメラの防湿容器。

2019年04月16日 14時13分47秒 | 写真
ラストロウェア(岩崎工業)の4.2リットル型の蓋つきプラスチック容器を買ったんだけど

意外とフタがカパカパで あんまり密閉性が良くない

861円(ヨドバシだと883円)もしたのに 何だか残念

買う前に開け閉めして確かめれば良かった



仕方ないのでリスのぬか漬けシール容器ってのも買ってみたら密閉性は抜群で

閉める時にフタの中央部分を押しながら閉じると フタが凹んだまま戻らない程

まだシリカゲルを入れてから どのくらい色が変わらないのかをテストしてないんだけど

かなり期待できそう



ラストロウェアはどこでも売っているんだけど 銀イオン抗菌仕様なので人気があるのかも

までもカメラの防湿容器としてはぬか漬け容器の方を推奨するよ



30年くらい昔に買ったサンコー製のプラスチック容器が非常に優秀でシリカゲルの色が全く変わらない程密閉性が高い

今でも同じような性能なのかはわからないけど ヨドバシで検索かけても容量とかサイズが載ってないのでようわからん



あと以前にも書いたけど シリコンパッキンがついているタイプは密閉性は良いんだけど シリコンゴムからシロキサンっていうガス成分が出て電子回路やガラスレンズに悪影響を及ぼすので カメラの防湿容器としては避けた方が良いと思う

意外にもカメラ専用の容器にはシリコンパッキンが用いられているんだけど はてシロキサンフリーなのかどうかが判然としないので オイラは食品用保存容器を流用している

去年はチャック袋を二重に使って防湿してたんだけど やっぱ薄い袋だと防湿にはあんまならないらしくてシリカゲルが数日で赤くなってしまっていた



あ それからオイラの使っているカメラはミラーレスなので ゴロリとした一眼レフだとリンクした製品だと入らないかも



Ende;
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○安心という罠。

2019年04月14日 15時59分52秒 | 意識論関連
安心と安全の違いとは 気分的なものか論理的根拠に基づくものかの違いである

「航空機事故は日常生活で起きるアクシデントよりもはるかに少ない」と言えば 利用者は気分的に安心するが

航空機運用においては危機感を持ってあらゆる危険性を排除する必要性がある

「原発事故による放射能の影響は生活習慣病のリスクよりもはるかに少ない」からといって原発の運用に手抜きがあってはならないのである



京大学長の山極寿一や霊長類研究所の松沢哲郎は 大衆マスコミ相手に「先天的本能習性から人間性が立証出来るはずだ」などと言い張るが

先天的本能習性というのはシーケンシャルな条件反射に過ぎず 環境依存性の無意識な「結果」に過ぎず

人間性の根幹となる「自律」的な社会的責任判断とは全く別のものである

「世界人口のごく僅かしか戦争をしていない」と言われれば 大衆マスコミは気分的に安心満足して思考停止に陥るのであろうが

これは論理的安全性とは全く別の 錯覚を利用した大衆迎合に過ぎない



航空機や原発というのは それを取り扱う者が責任を持って運用すべきものであるが

イジメやヘイトスピーチの防止というのは一般大衆全員が責任を持つべき人間としての基本的要件である

イジメやヘイトスピーチという差別は戦争の源であり ハイリッヒの法則に鑑みれば「ヒヤリ、ハッと」事象なのである

小さな事象の原因を見逃しているからこそ 重大事象にまで発展してしまうのであって

中学生のイジメも殺人事件にまで発展することが実際にある

実際に人が死んでいる以上 これは当事者にとっては「小さな事象」で済まされる話ではない

生物学者達による非科学的観念錯覚を用いた大衆迎合で気分的に安心することは むしろヒトという種の生物の危険性を看過ごす大きな要因であって

極めて社会的に無責任な「洗脳」とも言えるものである



「本性」というものを「先天的本能習性」と定義すれば 

ヒトという種の生物の本性とは「順位序列階級差別を好む愚かな猿」に過ぎず

ヒトの子供を集団で放置しておけば 自動的自然にイジメ差別が起きる

これは普遍的事実結果であり 統計的に見ても「ヒトという種の生物における先天的習性」であると定義すべきものでもある

にも関わらず「ヒトは先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという科学的根拠のないお伽話で大衆を気分的に安心させることしかしていない生物学界というものは 科学を逸脱したオカルトにしかなっていない



「ヒトという種の生物は 先天的には危険である」という前提に基づき あらゆる危険性を徹底排除することは 社会人としての責務であり 教育関係者だけに丸投げしておけば済むような話ではない



犯罪者の言い分というのは 論理的に支離滅裂で訳が解らないことが非常に多い

その中には優生学に基づいたものもあり 優生学に対する論理反証を生物学界が認めようとしないことも犯罪助長の大きな要因ともなっている

主観的な嫌悪や怒りの感情を 短絡的に意識の主体だと錯覚しているからこそ 非人道的発想が出てくるのであって

論理客観性に基づいて自己の主観的感情を統合的に検証することによってのみ 社会安全性を優先するという発想に至ることが出来るのである



私個人の主観的「本音」を言わせてもらえば「お前らみたいなバカは全員絶滅しろよ」としか「思わ」ないが

それでは自己の存在における尊厳において「一秒足りとも生き続ける理由」にならないからこそ こうやって懇切丁寧に 噛んで含めるよう説明を 面倒臭いし意欲もないが続けているのである

別に「生きる必要性」など私にはそれほどないが どうせいつかは死ぬ以上無駄に誰かが苦しむのも見たくはない それなら社会安全性にとって少しでも有効な選択をすべきだという客観的判断である

主観である以上 誰の主観であっても意味はない

重要なのは客観性に基づく論理性 理性である 理性なくして人間性など成立することはない

耳当たりの良い 心地好くなる「面白い話」の方が気分的には安心満足することが出来るのであろうが それこそが社会安全性を損なう無責任な非科学的オカルト観念への洗脳によって思考停止に陥れる



養老孟司は「人生は崖登りだ」と述べたが 「国際競争力」などと称して無駄なチキンレースを鵜呑みにしているから「崖登り」などという危険な破綻への暴走をすなければ(すなければ?)ならなくなるのである

誰かと較べて「勝った」からといって 安全性を蔑ろにして 弱者をすり潰してまで競争する価値などない

勝ち負けというのは犬の価値観であって 特定の身勝手な価値観に基づいて「勝つ」ことは人間性や社会安全性において意味がないのである



 ◇

宗教の多くでは「人知を超越した実証不能の謎の能力」の存在を根拠にしたがるのだが

「人知を超越した実証不能の謎の能力」なんぞ そいつにしか使えないので応用が出来ないのである

「予言が的中した」だとか 「一度死んでから復活した」だとか言われても そんなのそいつにしか出来ないんだから意味がないだろ

「へぇ そいつぁスゲーや(棒)」としか言いようがないゎ

「人知を超越した実証不能の謎の能力」を振りかざせば 衆人達の多くは気分的に「畏れ」おののき 簡単に平伏して盲目的に信頼したがるのだが

津波や原発事故を誰か予言したんすかね

紛争解決に何か役立ったことがあるんすかね

要は盲目的に信頼することで気分的に安心したいから宗教にのめり込むだけで

実際に津波で漁師の息子と船と家まで流され たった一人残された歳老いた母親を救おうなんて宗教家なんぞいない

なぜかって?

「金儲け」にならないからだな



Ende;
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○区別。

2019年04月12日 13時06分40秒 | 意識論関連
以前 芸人の又吉君が「ヒトは進化すれば幸福になる」的な事を言っていたことがあるんだけど

遺伝的進化と幸福とは関係がないので 進化したら幸福になれる論理的根拠なんぞありゃしません

いや 又吉君は文学芸術作家さんなので別に科学的根拠に基づいた事しか言っちゃいけないわけではないんだけれど

論理的に物事を検証するのが苦手な文系の人達って 何か遺伝的進化さえすればあらゆる問題が解決するかのように錯覚しているフシがあって

それが優生学なんつうオカルト観念を大多数の生物学者達が鵜呑みにしていた要因にもなっているのではないかと思うのだ

生物学者がオカルト観念を鵜呑みにしてたらマッドサイエンティストにしかならんからな

科学者以外が気分的に安心しているからって 科学的根拠をすっ飛ばしてたら危なくてしょうがない

科学とか哲学ってのは大衆迎合じゃありませんから 大衆マスコミからウケが悪くても職業科学者は論理科学的に正しいことしか言っちゃいけない

そりゃ 間違うこともあるかも知れないけど 少なくとも論理的に証明されていることを無視することは社会安全性に重大な危険回避可能性を放置する原因になるから たとえ自分の権威性や既得権益に害を為すとしても 間違いは認める必要性がある

「君子豹変す」っていうのは 多数大衆からのウケを基準にせず 責任ある判断によって自らの間違いを訂正する勇気が必要だって意味であって

養老孟司みたいに行き当たり場当たり的に論理整合性のない話ではぐらかすことじゃありませんよ

 ◇

幸福の正体とは何かって言えば 要は脳内麻薬でしかないんですけど

それなら脳内麻薬が促す先天的行動習性のままに行動すれば幸福になれるのかと言えば なれないんですね

遺伝的な進化というものは あくまで生存価にとって有利かどうかであって 主観的に幸福かどうかとは関係がない

どんなに不幸を感じようとも「死ななきゃ生存」だし 逆に幸福でも死んでしまえば淘汰される

先天的本能習性によって促される行動バイアスとは 脳内麻薬によって作り出されているのであって 目先の快楽を追求すれば「深夜の渋谷で軽トラ転覆させて喜ぶ」だとか「凶悪犯は死刑にしちまぇ!」って多数派で共鳴して喜んだりする

でも そういう目先の快楽 脳内麻薬によって作り出される感情気分というものに流されることなく 客観的視点から合理性のある社会安全性を追求することこそが 本当の人間としての倫理であって 客観性というものは本能とは全く逆のものなんですね

論理的客観性というものは ヒトの脳では簡単に失われます

だから詐欺に騙される

「凶悪犯は死刑にしちまぇ!」っていう梅沢富美男の意見に同調している短絡的なバカ程詐欺られやすいし

渋谷で軽トラ転覆させて喜んでいるようなバカ程詐欺に利用され易い

「頭の悪さ」とは 先天的な本能習性が促す行動バイアスという無意識性に抗う本質的意識がない状態なわけです

「いや ちょっと待てよ これで本当に良いのか?」っていう考えの深さ 自己検証性というものがない状態がバカなわけです

論理的思考の出来ない人というのは 目先の気分感情が優先してしまうことで 論理的客観性が働かないんですね

野良猫が「地域猫」としてヒトの住む街でも共存できるのは 先天的本能習性としての行動バイアスのまま行動しておいても 概ね馴染んで生きていけるからなんですけど

それでも不妊手術や予防接種などは必要となる

先天的本能習性というものにはそもそも目的がありませんから ヒトの場合は状況によって「軽トラ転覆」みたいな暴動を引き起こす暴徒集団が形成されることもある

先天的本能習性というのは 「何となくそっちに行きたくなる」ような誘導を促すだけであって その先に暴走破綻があるとしても 誰も止めてはくれないし 止めるのはむしろ自己の客観性だけなんですね

予め神様的なものが頑丈な線路を敷いてくれてあって 自動的に常に正しい結果になるよう誘導してくれるわけではない

「自己客観性というものがヒトには存在する」という点においては スピノザ的な神によるものだと言っても良いかも知れませんけど その与えられた自己客観性を発揮するべき主体は神じゃなくて自己というヒトなんですね

スピノザの神はなぁんにもしてくれない

パレスチナで赤ん坊が丸焦げにされていても 何にもしてくれない

主体的に「本当はどうするべきなのか」という目的意識が誰にもなければ ヒトという種の生物の先天的欠陥をリカバリーすることはできませんから 暴走破綻にも簡単に陥ることになる

感情気分的なバイアスに随って刑罰をどんなに重くしても 犯罪の論理的原因究明にも再発防止にもならないのに ハムラビ法典(*:紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ王が発布した法典)以来報復懲罰を短絡的に正義だと誰も疑わずに 不毛な因習を漫然と続けているのは ヒトという種の生物の先天的欠陥に起因するものだと言えます

「懲罰は報復ではない」と言い張る学者もいますが 論理的根拠が全く示されていません

実際に服役による再犯率が1/2近くもあり 治療にも予防にもならない懲罰の無効性は統計的に立証されており 社会安全性にとって決して唯一絶対的な有効性が立証されているわけでもありません

ましてや自暴自棄な通り魔やテロリスト達に対しては 刑罰は抑止力にさえなりません



死刑や刑罰という淘汰圧力を加えておけば 社会から犯罪者が減るような「進化」が促されるでしょうか?

もし 犯罪者に共通する遺伝的要因のようなものが特定された場合 先天的に犯罪者になりやすい遺伝子を持っている人を全員殺害したり 断種すれば「進化」するとでも思っているんでしょうか?

いや その発想こそが非人道的なんですよ

たとえ先天的に犯罪者傾向がある遺伝子を持っているとしても 必ずしも犯罪者になる訳ではありません

なぜなら ヒトは環境要因によっても大きく人格に影響を受けるからです

もし遺伝的に犯罪傾向があるなら 犯罪者家系のようなものが出てくるはずですが そんなデータはないんですね

犯罪者傾向があるとしても その全てが犯罪者になるわけではない

それなら 後天的な教育環境こそが重要なのであって 先天的遺伝要因を根拠に差別することの方が人間性を欠いています

そもそも遺伝的要因は自分では選択不可能なものであって それを根拠に差別するのは人間性に欠けています

本当に「区別」すべきは 科学者や哲学者でありながら 論理的根拠に基づいた論証を無視するような無責任なバカを学界から排除するべきです

そもそも論理的思考が成立していない奴が自然科学や哲学に携わっていても 百害あって一利もありませんから



 ○偉人?。

文系観念上だと歴史上記録に残っている為政者の類を短絡的に「偉人」って形容するんだけど

戦国武将の類って 今で言えばアフガニスタンの軍閥みたいなもんで 主観的好き嫌いのいがみ合いに民衆を巻き込んでいた奴ばっかなんだよね

織田信長なんて ちょっとノイローゼなんじゃなかろうかってくらいやっていることが身勝手で 到底人間として「偉い」なんて言えないと思うんだが

そういう分別を文科系大衆の多くは全く検証せずに 「歴史書に残っているから偉人」という短絡的発想で形容する

こういう短絡的発想を鵜呑みにしているから 「凶悪犯罪で歴史に名を残すぞ!」なんていうバカが出てくるんじゃないかと思っている

誰彼構わず「偉人」扱いするのは社会的に無責任



Ende;
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○突風。

2019年04月11日 14時19分56秒 | 日記
お買い物に行こうと思って自転車で新河岸川を渡ったら

凄まじいぃ突風に煽られてコケそうになった

カゴの中のレジ袋がバタバタバタバタバタバタ まぁうるさいし

軽い地獄

苦労して買ってきたサントリーBossのラテベース(焦がしキャラメル)で飲む牛乳がしあわせ



はぁ… ('A`)



Ende;
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○残虐性の自覚。

2019年04月11日 11時21分27秒 | 意識論関連
ヒトの皮膚が紫外線に当たるとメラニンによって色が濃く変色するのは 別に個体の意図目的意識に基づいて「色を濃くしよう」として変色する訳ではない

皮膚の色が変色することによって 紫外線による損傷が少なくなる個体種の方が生存にとって有利であったため 結果的に肌の色が変色する個体への淘汰圧力の結果に過ぎず

こうした遺伝的進化の過程においては「目的関数のようなもの」は存在しておらず あくまでランダムな変異に対して淘汰圧力が加わった「結果」以上の意味はない

配偶交配や突然変異によって性質の多様化が起こるわけだが そこに「目的」など存在していないために 先天的に紫外線に極めて弱い個体が発生することもある

 (*:色素性乾皮症の患者さんの割合は日本では人口2万2千人に1人の割合と考えられています。

あくまで遺伝子の変異というのはランダムなものであって 目的も意図も合理性もスッタクレもないのだが 変異が発生することによって結果的に環境適応能力を持った個体発生する可能性があるため 変異しない個体よりも生存にとって結果的に有利だったために残された性質に過ぎない



生物学者や大衆マスコミの大多数は 生物の遺伝的進化に対して やたらと「賢い」だの「生存戦略」だのといった形容詞を使いたがるが 遺伝的進化の過程というのは何の合理性も存在せず あくまで偶発的に「死ななかった」という「結果」以上の意味はない

生物の遺伝的進化の全ては 誰の意図目的も合理性も方向性すらも存在しておらず あくまで結果的に「死ななかった」だけのことであって 個体の「賢さ」だの「戦略」などというものが介在する余地などない

たとえどんなに頭が良くても先天性疾患があれば生存には適さず 努力も合理性も意図目的も遺伝的進化には影響を与えることはない

遺伝的進化という 単なる自然現象の結果を 短絡的に何かの意図目的であるかのように錯覚しているから フランシス:ゴルトンの優生学などというオカルト観念を130年以上にも渡って誰も論理反証してこなかったのである

遺伝的進化や生存を目的だと錯覚しているからこそ 障害者淘汰などという非人道的発想が出てくるのであって 結果に過ぎない「生存」は「人間としての目的」であることの論理的証明には一切ならない

遺伝的進化に対して「賢い」だの「戦略」だのという形容詞を用いるということは 遠回しに障害者殺害を正当化しているのと同義であり 極めて社会的に無責任は発言なのである



Ende;
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○直接暴力さえ回避すれば人間性の論証になるわけではない。

2019年04月09日 13時58分33秒 | 意識論関連
先天的本能習性として 序列順位への欲求があり これが差別排除の源ともなる

チンパンジーが順位序列が上の個体に対して 歯を見せることで直接暴力を回避する習性があるとしても そもそも序列順位の欲求自体に人間性がないのであって

「直接暴力さえ回避すれば人間性の論証」になるわけではない

恐怖心を用いた威圧によって他者を服従させようとする行動自体に人間性が欠如しているのであって 直接暴力か形式的威圧かの違いは人間性とは何の関係もない

無駄な殺し合いをしないことが生存にとって有利に働いたとは言えるが それは無駄な殺し合いをした種が死滅した結果に過ぎず 個体種の意図や目的や合理性選択が介在する余地はない

ヘイトスピーチが「直接暴力を用いていない」からといって人道的に正当であるとは言えないのである

ヒトという種の生物には 他の類人猿と同様に順位序列に執着する性質があるが この性質によって統率的協調性が発揮され 生存にとって有利に働いたとは言えるが

「生存にとって有利に働いた」のも結果であって 意図目的とは関係がない

ヒトであっても先天的には順位序列に固執する性質があり これが「平等を嫌う」という非人間性の源ともなっているのである

ヒトは ヒトという種の生物は 他人を仲間同士で集団的に攻撃することで気分的に満足する習性があり 多数派に属さない少数派を集団組織的に排除差別することが快楽なのである

こうした習性は 子供のイジメであろうとナチスやISILのような大規模なテロリスト集団組織であろうが同じ習性が原因であることに違いはない

紛争の話になると あたかも地勢学的要因ばかりが最大要因のように語られることが多いのだが 実際には平和な日本国内でもイジメや差別は当たり前のように起こるものであり ヒト全般に見られる先天的習性にこそ紛争の最も根源的原因というものが存在しているのである

地勢学的リスクというのは あくまで傾向性には関係があるが 決して根源的原因ではない

ヒトはどうしても事象の規模を基準に分類しがちだが 子供のイジメであろうとテロや通り魔であろうと 実行しているのは個人であり たとえ集団であろうとも集団を構成するのは個人であることに違いはなく 集団に流されてしまうという主体性の欠如こそが問題なのである

原発の津波に対する脆弱性放置であっても 「個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと(国会原発事故調査委員会報告書より抜粋)」が原因であって あらゆる「人災」の全てには個人の主体的判断選択の欠如という無意識性が隠れているのである

 ◇

ヒトの意識の9割以上は無意識であると言われているが 1割にも満たない意識(自発的論理検証性)によってのみ 感覚(無意識)が促してくる錯覚妄想の類を錯覚妄想だと認識できるのであって

それは ヒトという種の生物における人間性を発揮できる意識は1割にも満たないという意味でもある

ヒトという種の生物の意識とは 9割以上はただの猿に過ぎず 1割にも満たない僅かな本質的意識によってのみ人間性を発揮することが可能となるのであって

決して「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」とは言うことが出来ず

むしろ先天的には「非人間性が9割以上」だと言っても過言ではない

自己が 先天的に欠陥を持っていることを自覚し 無意識が促してくる感覚による錯覚に惑わされずに自律的に論理検証できてこその本質的な意識であって

「ヒトには先天的に人間性存在する」とは言えるかも知れないが それを発揮するためには無意識とは何かを論理的に理解認識する必要性がある

錯覚を錯覚であると認識できないバカに人間性が発揮できる訳がないのである



気分感情とは感覚である

客観的論理検証というものが主観的に面倒臭いからといって拒絶するのも「感覚」であり

権威や多数派の意見の方が正しいような「感覚」も その方が気分的に安心だからでしかない

権威とは あくまでヒトが盲目的に服従するために信用する対象を指しているだけであって 「科学的権威」などと形容されていたとしても それは科学的根拠があるわけではなく 文科系大衆観念上の分類に過ぎない

盲目的信頼は先天的欲求(主観)であって 科学的真理(客観)とは全く逆のものである

歴史をひもとけば 権威が地動説を火炙りにしようとするなどの暴挙は枚挙に暇がない

現代においても内部告発者は排除差別の対象となることは珍しいことでも何でもない

権威や多数に同調しておけば 気分感覚的には安心感が得られるが その「感覚」に無意識に流されているから真理を見失い 暴走破綻への歯止めが効かなくなるのである

「自分の脳は 自分で選択していない」という根源的原則に基づけば 何が本当の「自己」や「意識」なのかは自ずと導き出すことは可能であるにも関わらず

大衆の多く ヒトの多くは自己の意識の全てが意識の本質だという錯覚を認識しようとはしない

それは「怠慢」でしかないのだが

ヘイトスピーチに邁進しているバカにとっては 必死になって「怠慢」しているため 怠慢している感覚(主観)が欠如しているのである

どこぞの病理診断医のように「格好悪い」だとか「恥ずかしいからやめておけ」などという個人の主観的「感覚」に一体どれだけの社会的価値が存在すると言うのであろうか

無意識なバカ程強い感情や同調を伴うものである

だからイジメやテロは暴走するのである

ブレーキとしての「本質的な意識」が働いていないからである

ヒトとは そういう残念な生き物なのである



Ende;
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○脱法詐欺。

2019年04月08日 17時34分59秒 | 意識論関連
後天的に形質が変異するとしても その変異は先天的可能性を持っていなければ起きないのであって エピジェネティクスなどと称して「遺伝的性質に依らない変異」などというものは有り得ない

ヒトが極端に寒い環境下におかれた場合に 末梢の先端の血流量から減らすことで体幹の臓器の損傷を防げることが生存にとって有利に働くとしても それは別に「生存のために意識的且つ合理的に選択した」わけではなく あくまで末梢の血流量から減る性質を持った個体が生き残り そうでない性質を持った個体が死滅した結果でしかなく 目的選択可能性が介在する余地はない

後天的変異であっても先天的変異可能性を予め持っていないことには起きるわけがなく たとえ特定環境下でしか発現しない性質であるとしても それは個体の選択とは無関係がなく あくまで先天的変異可能性の範疇に過ぎず 「遺伝的性質に依らない変異」などというものは有り得ず 誰の努力も合理的選択可能性も介在する余地はない

生存にとって有利に働く性質を持っているとしても それは生存にとって有利に働く性質を持っていなかった個体の死滅による「結果」であって 目的意識に基づいて合理的に選択したわけではないからである

生物学者達は論理的思考の出来ないバカが多過ぎるので 何が何でも生物の全てには個体の努力や合理的選択可能性が存在することにしようとしたがるが ヒト以外の意識の中に合理的選択可能性などというものが存在する証拠はない

ヒト以外の生物における変異や進化というものには目的意識的な選択可能性など存在する余地はなく

むしろヒトは意識的目的選択可能性を獲得した結果として 遺伝的進化に依存しなくなり ここ百万年ヒトは遺伝的には進化をしなくなったのである

 ◇

生物学者に限らず 哲学者やマスコミ大衆の多くは あたかも生物の全てが先天的に常に正しい結果しかもたらさないものであるかのように錯覚することで 気分的に安心満足感に溺れて思考停止に陥ることを望み 論理的客観性に基づいた自発的思考を放棄しようとするのである

論理的に深く追求することを面倒臭がり 目先の気分的満足感が得られる短絡的帰結を鵜呑みにして思考停止に陥ろうとする

そういう欠陥が ヒト全般に普遍的に見られるのである

こうした先天的欠陥に起因する間違った認識(錯覚)に陥らないために 科学や哲学という論理検証が必要なのであって 現在の哲学界や生物学界は科学や哲学を逸脱した大衆迎合にしかなっておらず 極めて社会的に無責任な税金の無駄遣いになっているのである

科学や哲学という論理的思考は 真理を求めることであり これが社会の根幹となす安全性に寄与するからこそ 社会的に意味があるのであって

論理的思考の成立していない科学者や哲学者などというのは社会のダニも同然である

京大学長の山際寿一や松沢哲郎がどんなに「ヒトの先天的習性から人間性を立証できる」と言い張っても バカな大衆マスコミのご機嫌取りにはなっても ヒトという種の生物の危険性の反証には一切ならない

大衆からどんなに人気を得て文化功労賞を獲得しても 科学的価値が存在する証明には一切ならず むしろ大衆迎合を目的として科学的真理を放棄したオカルトであり 脱法詐欺とも言えるものである



Ende;
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○山桜。

2019年04月07日 22時12分17秒 | 写真








日没頃の桜が良いなと思った

暗いからISO3200 f3.5 1/60sec

忠実設定 コントラスト:-4

コントラストを下げ過ぎたかも



Ende;
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○暫く要らない感じ。

2019年04月07日 14時56分23秒 | 日記
キリンのアミノバイタルGOLD2000っていうスポーツドリンク的なものに試供品が付属してて

水に溶かして飲むのかと思ったら 粉のまま飲む奴で こっちは味の素の製品だった

で 飲んだら糞まぢくてビックリ!

キリンのドリンクの方はちゃんと美味しいのに 本家の味の素の粉末はほぼ「薬」

還元麦芽糖だの人工甘味料だのが入り混じった味が口いっぱいに拡がって

軽い地獄

何だか気分悪くなっちった

馴れれば大丈夫なのかしら

あと二つあるけど オブラートにでも包んで飲もうかどうか悩ましい

アミノ酸とかビタミン類なので 飲んだ方が良いとは思うんだが

暫く要らない感じ



Ende;
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○とりとめはないです。

2019年04月07日 12時02分12秒 | 写真
西台のダイエーの近くに枝垂桜が植わっていた

ソメイヨシノよか花の一つ一つが繊細で素敵

カイドウサクラ カイドウのカイドウって漢字でどう書くのかしら ググってみようっと

 ◇追記:ググってみたら「海棠桜」っていうのが出てきたよ

「棠」っていう字は見たことないなぁ

東京都の清掃車輌

民間委託の運送会社ではないらしい 良く見たらキャビンに「大盛運輸」って書いてあった

アスファルトの上を這い擦り回っていて 危うく踏みそうになった
【昆虫注意】
ハエとかアブの一種だと思う



Ende;
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