未破裂脳動脈瘤に関しては、私は必ず患者さんとその家族の方々に、時間をかけて直接説明します。
しかも治療はよほどのことがない限り自分自身の手で行います。
これは動脈瘤の治療には、非常に繊細な部分があるためです。
瘤だけを処置して他の部分をそのまま残す...という治療です。
血管内手術でも外科的手術でも良い修練を積んでいれば、ほとんどのケースでいい結果が出ますが、やはり100%ではありません。
例えば合併症が出る可能性が2-3%程度であると説明すると、「97-98%大丈夫な訳ですか!」と、ちょっと安心される患者さんもいます。
しかしこの数字は、治療する側には重い数字なのです。
100人の動脈瘤を治療すると97-98人は幸せになる。しかし2-3人を不幸にする。
これが「未破裂脳動脈瘤治療の光と陰」です。
97-98人には本当に感謝されます。
しかし合併症を来した場合には、家族も医者も治療したことを後悔することになるのです。
主治医の説明が十分でなかったと、訴訟になるケースも聞きます。
いろいろな医療機関で未破裂脳動脈瘤の治療をやめてしまった理由はここにあります。
動脈瘤が破裂したら治療すればいい...。それは誰の責任でもないから...という考えです。
しかし現実には破裂すると半分の人は命を落としてしいまいます。
患者さんが予防したくなるのは当然です。
最近ではいろいろな情報をもとに治療経験の多いドクターに集中する傾向にあります。
私のところにもたくさんの患者さんが来ます。
でも最近は、100例も合併症なく経過すると逆に不安になるのです。
そろそろ何か起きるのではないか、と。
私は合併症に遭遇すると、まず全力で回復に尽くします。
外科手術も含めて、ありとあらゆる努力をします。
そんな時、いいチームがあると本当に救われます。
うちのチームのドクターたちにはいつも心から感謝しています。
本当にありがとう!君たちのおかげだよ。
でも、命が助かっても後遺症が残るケースがあります。
そんな時、たとえ避けきれない合併症だったとしても、自分を責めてしまいます。
患者さんを見るたびに胸が締め付けられるのです。
自分の手でこの人を悪くしてしまった、と...
心に深い傷を負うのです。
しかしまた患者さんはやってきます。
「命の危険から救ってほしい」と。
どれだけ技術を磨いても、100%成功するのは不可能だと分かっている。
続けていれば、また傷つく時がくる。
でも自分はまた挑んでいくのです。
求めくる患者さんたちのために。
しかも治療はよほどのことがない限り自分自身の手で行います。
これは動脈瘤の治療には、非常に繊細な部分があるためです。
瘤だけを処置して他の部分をそのまま残す...という治療です。
血管内手術でも外科的手術でも良い修練を積んでいれば、ほとんどのケースでいい結果が出ますが、やはり100%ではありません。
例えば合併症が出る可能性が2-3%程度であると説明すると、「97-98%大丈夫な訳ですか!」と、ちょっと安心される患者さんもいます。
しかしこの数字は、治療する側には重い数字なのです。
100人の動脈瘤を治療すると97-98人は幸せになる。しかし2-3人を不幸にする。
これが「未破裂脳動脈瘤治療の光と陰」です。
97-98人には本当に感謝されます。
しかし合併症を来した場合には、家族も医者も治療したことを後悔することになるのです。
主治医の説明が十分でなかったと、訴訟になるケースも聞きます。
いろいろな医療機関で未破裂脳動脈瘤の治療をやめてしまった理由はここにあります。
動脈瘤が破裂したら治療すればいい...。それは誰の責任でもないから...という考えです。
しかし現実には破裂すると半分の人は命を落としてしいまいます。
患者さんが予防したくなるのは当然です。
最近ではいろいろな情報をもとに治療経験の多いドクターに集中する傾向にあります。
私のところにもたくさんの患者さんが来ます。
でも最近は、100例も合併症なく経過すると逆に不安になるのです。
そろそろ何か起きるのではないか、と。
私は合併症に遭遇すると、まず全力で回復に尽くします。
外科手術も含めて、ありとあらゆる努力をします。
そんな時、いいチームがあると本当に救われます。
うちのチームのドクターたちにはいつも心から感謝しています。
本当にありがとう!君たちのおかげだよ。
でも、命が助かっても後遺症が残るケースがあります。
そんな時、たとえ避けきれない合併症だったとしても、自分を責めてしまいます。
患者さんを見るたびに胸が締め付けられるのです。
自分の手でこの人を悪くしてしまった、と...
心に深い傷を負うのです。
しかしまた患者さんはやってきます。
「命の危険から救ってほしい」と。
どれだけ技術を磨いても、100%成功するのは不可能だと分かっている。
続けていれば、また傷つく時がくる。
でも自分はまた挑んでいくのです。
求めくる患者さんたちのために。