簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 23番札所・薬王寺

2009-12-29 | Weblog
夜中に雨が降っていたらしい。
朝、カーテンを開けると目の前の木々がしっとり濡れ、道路には水溜りが出来ていた。
幸い今は降ってはいない。
どうかこのまま小康状態で持ってくれと、予定より少し早めに宿を発つ。

 【写真:JRの田井ノ浜臨時駅】

ナビソフトで調べると、旅館から薬王寺までは、県道25号を15キロほど歩く事になる。
シーズンだけオープンするJRの田井ノ浜臨時駅、木岐の低い町並みを抜け、木岐漁港を左に見て、
の先のヘンロ小屋で休む。

 【写真:木岐の町並み】

 【写真:木岐漁港】

 【写真:ヘンロ小屋】

案内板を見ると、薬王寺まで7.7キロと有る。
「アレッ?もうそんなに歩いたかな?」「そんなには歩いていないはずだが・・・」
疑問は直ぐに解けた。
海岸伝いにうねうねと曲がりくねって進む県道とは別に、遍路道は所々でショートカットしているらしく、
その分距離が随分と短くなっているのだ。

これからその短絡ルート、山座峠越えに入る。
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここまで前後して歩いて来た。

 【写真:遍路道 山座峠越え】

何となく、同行するような形になっている。
峠道で雨が降ってきた。幸い木立に遮られ濡れる心配は無い。
峠を降りると雨も止み、やがて恵比寿浜。

 【写真:遍路道 恵比寿浜】

薬王寺までは残り4キロほどだ。いよいよ近づいてきた。
緩やかに登る峠道を登り切ると、カーブの先に恵比寿洞が見える。

 【写真:遍路道 恵比寿洞】

目を前方に転じると遥か先の小高い山の上に日和佐城が、その視界の右端に薬王寺の赤い
瑜祇塔が見える。

 【写真:遍路道 日和佐を望む】

北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここで別れ、途中、恋人岬から、海がめの産卵で
名高い大浜海岸に立ち寄り道草。

 【写真:恋人岬】

 【写真:大浜海岸】

暫く海岸で波と戯れた後再び県道25号に戻る。
日和佐の町に入り、厄除け橋を渡ると薬王寺の伽藍が間近にはっきりと見て取れる。

 【写真:遍路道】

 【写真:遍路道 厄除け橋】

門前通りの突き当たりに仁王門が建つ。
背後の山の斜面を巧に利用して、四段に伽藍が配置されている立派なお寺だ。
さすがに観光地・日和佐の厄除け寺だけあって参拝者も多く、門前は賑わっていた。

 【写真:23番札所 薬王寺】

三十三段の女厄坂、四十二段の男厄坂を登り、本堂にお参り、納経を済ませると「発心の道場・
阿波23ケ寺」を無事打ち終えたことになる。
苦しい山登りも、急で長い下り坂も、単調なアスファルト道も、長閑な田舎道も、マメだらけの
足の痛みを堪えて歩いた事も、今になれば全てが思い出。
そして、苦楽を共有した多くの遍路達、お接待をしてくれた善意の人々、親身に世話をしてくれ
た宿の主、これらの多くの人々との出会い、これも今は思い出。
そんな思い出を沢山頂き、試練の道場をどうにか乗り越える事が出来た。





日和佐駅近くの喫茶店に入る。

 【写真:日和佐の喫茶店】

道中、遍路道では中々飲む場所も無かっただけに久々のコーヒーが、胃に沁みる。
幸いと言うか、店には他のお客も居ないので、店主に断りここで着替えさせてもらう。
汗に濡れた白衣、シャツ、下着を脱ぎ、身体を拭いて、真新しいそれに着替えると、何処から見ても
ごく普通の、日和佐に遊びに来た観光客だ。

 【写真:道の駅 ひわさ】

「道の駅ひわさ」で店を覗き、冷やかしながら電車を待つ。

昼過ぎ、JR日和佐の駅に、また見慣れた顔が揃った。

 【写真:JR日和佐駅】

北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)は、これから鯖大師をお参りすると、牟岐行きの電車に
乗り込んだ。
「まだ陽が高いから、歩けるよ~っ・・」と冷やかすと、窓から出した顔の前で手を左右に振った。

 【写真:JR日和佐駅】

我々は、行違いでホームに入ってきた徳島行きに乗り込んだ。
結構混んではいたが、
幸い席は空いていた。
ベンチシートの車内では、対面の目が気になって何となく食べ辛かったが、空腹には勝てず道の駅で
仕入れた弁当を食べる。

 【写真:昼ごはん】

お腹も膨れ、多少の疲れも有ったのか、心地よい電車の揺れでいつしか眠り込んでしまった。
気が付くと徳島に到着していた。

 【写真:特急うずしお】

ここで、飛行機で帰るという東京の夫婦とは別れ、高松行きの特急に乗り込む。
座席を確保し、荷物を置いてホームの売店にビールを買いに走る。

車内に戻ると、座席の上に見慣れない袋が置かれていた。
「何かな」と訝りながら中を覗くと、海老せんべいが入っていた。
我々が売店にビールを買いに行くのを見て、件の夫婦が気を利かせ置いてくれたのだ。

心の中の思いこそ違え、遍路道を歩くと言う同じ目的を持った、見ず知らずの者たちが、
ある日、ある所で偶然出会い、僅かの出会いの中で、苦楽を通じて心を通わせ、
そして必然的に、当たり前に分かれて行く。
この先再び会えることも無いであろう、まさにこれが一期一会と言う事か。
なのに、十年来の知己のような心遣い、こんな小さなことがとても嬉しく感じられた。
        
                                       (四国遍路 完)
コメント
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