簾 満月「バスの助手席」

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そして遊び、生活のこと
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山裾の寺町(JR乗り潰し・伯備線)

2016-10-12 | Weblog


 備中高梁は昔から山陰と山陽を結ぶ街道や、高瀬舟で瀬戸内とを結ぶ
水運など、水陸交通の要地であったため、古くから戦略の重要拠点として
注目されていた。
即ちこの地を押さえることは、備中国を治め、さらに備前国や山陰の諸国
に睨みを利かす上で重要な意味を持っていた。
そのための城が備中松山城である。



 江戸時代に入って武家諸法度により城の新築が禁止され、修理にさえま
まならない時代に移築建立された「東向山・松連寺」は、城壁のような石垣
の上に築かれている。



 そんな石垣続きで隣に建つのが「瑠璃山・薬師如来院泰立寺」である。
何れも石垣を何重にも重ねた上に伽藍を構えているが、それらの白壁に狭
間でもあろうものなら威容は城そのもので、これはまぎれもなく背後の山頂
に聳え立つ備中松山城を守る砦だ。

これら重厚な構えの寺院群を見ていると、この地をいかに重要と考えていた
のか、国人の思いが伝わってくるようだ。



 ここは駅の東側の山裾に当たり、丁度このあたりから北が寺町と言われ
る地域である。寿覚院、巨福寺などが建ち並び、その先が頼久寺である。



 頼久寺は臨済宗のお寺で、国の名勝に指定されている庭園が良く知られ
ている。背後の愛宕山を借景とし、植え込みと石組みで島を置き、鶴亀を据
え、それを取り巻くように大海原をサツキの大刈込で表現する豪華で大胆な
構図の枯山水の庭である。



 これは「鶴亀の庭園」と呼ばれる小堀遠州によって作られた江戸時代初期
のものとして、我が国を代表する庭園との評価が高い。(続)

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