簾 満月「バスの助手席」

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備中松山城(JR乗り潰し・伯備線)

2016-10-17 | Weblog
 備中高梁は、備中国を治めさらに備前国や山陰の諸国に睨みを利かす
上で重要な意味を持っていた。そんな背景もあり、その町の北端に聳え立
つ山の頂には、古くは砦が、中世では山城が築かれていた。



 その後関ヶ原の合戦を経て、毛利氏が撤退した後、小堀遠州や水谷勝宗
によりほぼ今の姿になった。
これが地元の市民から「おしろやま」の愛称で呼び親しまれている標高480
mの臥牛山と、その頂付近に建つ備中松山城である。



 ふいご峠(8合目)からは、鬱蒼とした木立の中に凡そ700メートルの登城
坂が延びている。巨大な山壁が切立つ山中に延びる坂道は、勾配もきつく、
地道や石ころ道、不揃いの石段など、難攻不落の名城らしく中々に厳しいも
のが有るが、ユーモラスな登城心得の立て看板や、音声案内など、よく整備
されているので迷うことも無く楽しみながら登ることが出来る。



 標高430メートルの山上の僅かばかりの平地に、自然石と人工石を巧みに
取り入れて組み上げた石垣群が有り、見事な要塞をかたち作っている。
その上に建つ二層二階の天守は、日本各地に現存する12の天守の中では
最も小さいものだ。
その天守と櫓の、白い漆喰塗壁と、黒い腰板のコントラストがとても美しい。



 ここは現存する天守を持つ山城としては国内で最も高いところにあり、日
本三大山城の一つに数えられている。
現在、「備中松山城」の城跡は国の史跡、江戸時代に建造された「天守」や
「二重櫓」「三の平櫓東土塀」等は国の重要文化財に指定されている。(続)




(備中松山城の写真 次号に続く)

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