簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

旅の草鞋(東海道歩き旅・伊豆の国)

2019-04-24 | Weblog

 左に伊豆フルーツパークを見て、三島塚原ICの広い交差点を越え、その
先で伊豆縦貫道であろうか、自動車道を越えると、国道1号線と並走する松並
木の続く石畳道となる。初音ケ原と言われるところだ。



 当時街道整備に当りその両側には松や杉が植えられ、道を保護する役割を担っ
てきたが、取り分けここ箱根の道は赤土の急坂で滑りやすいため、石畳道が早く
から普及したという。



 昔の人はこんな石畳道を草鞋履きで歩いていた。
色々な説が伝えられているが、普通の地道なら三日程度は持つとか、数里歩くと
すり減るとか言われる草鞋が、このような石畳道が続くと一日に二足は履きつぶ
していたらしい。



 その為多くの旅人は、予備の草鞋を持って歩いていた。
痛んだら履き替え、履けなくなった草鞋は路傍につるしておくと、予備を持た
ない旅人が急場を凌いだり、銭を持たない貧しい旅人がそれを再利用し、使え
ない物は捨て場で発酵させ肥料にしていたと言う。



 当然街道の茶店などでは草鞋が売られていたようだ。
広重が描く「東海道五十三次之内 袋井 出茶屋ノ図」には、簡素な造りの小
屋の屋根から吊された草鞋が描かれている。値段は今の金額に換算すると四五
百円程度と言うから、決して安くはなかったようだ。



 そんな石畳道の松並木は凡そ1キロの間に残されていて、三島市内では唯一の
ものだそうだ。途中には錦田の一里塚が残されている。
江戸日本橋から28里(約112Km)、三島へ半里(約2Km)の地点だ。
松並木の道路を挟んだ両側に、旧態を良く残し保存されている。(続)





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