簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

 山中八幡宮 (東海道歩き旅・三河の国)

2022-01-10 | Weblog


 赤坂宿の陣屋跡を過ぎ西見附を出ると、街道は2里9町(凡そ8.8㎞)
先の藤川宿へと向かう。
ここから先は、旧東海道、国道1号線、名古屋鉄道名古屋本線、東名高
速道路が、付かず離れずの関係で寄り添い、狭い平地を縺れるように西
に向けて進んでいく。



 山綱川に架かる舞木橋を渡り、国道1号線に合流する辺りでは山中八
幡宮を遙拝する。
左手にこんもりとした小高い円山が見え、麓に赤い鳥居が立っている。
社領150石の舞木八幡宮、現在の山中八幡宮で、徳川家康の父・広忠が
焼失後再建したという、家康にも所縁の宮である。



 家康は永禄6(1563)年、三河一向一揆の戦いで敗れて逃走中、この
神社の洞窟に隠れた。
追っ手の兵がこの前に来ると、洞窟から二羽の白鳩が飛び立った。
「人のいるところから鳩は飛ばない」と判断した兵は、中を調べることも
なく立ち去り、家康は難を逃れた事から、この洞窟を「鳩が窟」という。



 木立の生い茂る古びた階を上り詰めると社殿があるらしい。
背後の山を含めた全体が、山中古城の跡だと言う。
残念ながら今は立ち寄る元気も無く、疲れ果てた足には余裕も無い。



 赤坂宿を出て単調で退屈な国道の歩道歩きを続けてきた。
疲れた時に、休めるところがあればいいのだが、こんな時に限って何も
見つけられず、ひたすら前に進むだけで疲れも増幅する。

 ようやく「道の駅・藤川宿」の案内板を見かけるようになり、宿場が
近づいて来たことを実感する。



 そのまま大きな工場の前を通り、直進して左の旧道に入り込み、少し
西進するとY字路で、左側が緑地帯になっていて、正面に大きな藤川宿
の案内板が立っている。
旧道はその右を緩くカーブするが、左側には路地のような狭い幅の道が
真っ直ぐに伸びていて、どうやらここが藤川宿の入り口らしい。(続)




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