簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

お正月・松飾り

2022-01-07 | Weblog
 子供の頃を過ごした名古屋では、「正月は、年神様をお迎えするから、
門口に目印の松飾りをするのだ」と教えられていた。
当時は、熨斗紙で巻いた小松を玄関など門口に釘で打ち付け、正月の準
備をしたものだが、後年移り住んだ岡山には、そういった「松飾り」の
習慣は無かった。



 嘗てはお正月ともなると、会社や工場、商店の玄関先には、大きさを
競うように「門松」を飾り立てていた。取分けパチンコ屋の店先のもの
は目を見張るほど、群を抜いていたように記憶している。
この「門松」も「松飾り」と同じ意味が込められているが、近頃では見
かける機会も少なくなった様に思う。



 そんな折、三年程前の年末、お向いさんから「門松」を頂いた。
「知人に教えられて手作りしたもので、良かったら飾って・」との事だ。
思いがけなく「門松」が飾られて、玄関先が華やいだ。



 以来、年末には教えを請いながら「門松」を作るようになった。
大きさ的には、丸いオイル缶か、フエルトプランター辺りが丁度良いの
だが、円柱状に近い植木鉢や百均で買えるゴミ缶などでも構わない。

 鉢の中は土でも構わないが重くなるので、1/3程ほど入れて、そこに
節付きの短い竹を埋め込んでおく。
後からこれに水を差し、飾りの松や竹を差し込むのだ。



 正式にはそれに薦を巻いて、底の部分をスカート状に広げるが、これ
だと狭い我が家の玄関では通れなくなるので割竹を巻付けている。
メインになる太竹三本を斜め切りして、切り口を揃えてシュロ縄で結ぶ。

 真っ直ぐに節を伸ばす竹が、長寿を招く縁起物として添えられ、この
風習は、既に江戸時代には始まっているという。
(「日本人のしきたり」飯倉晴武 2003年1月 青春新書 青春出版社)



 「門松」の形は、地方毎の違いもあるようだが、「松は千歳を契り、
竹は万代を契る」事から年始に使われるものだ。

 まず基本の、両親と子供の笑顔を現すという竹を容器中央に立てる。
縁起物の松や梅を添え、手作りを楽しむのだから後は好きに季節の南天、
葉ボタン、千両や万両などを賑やかに飾り付ければ完成だ。
今年も華やいだ玄関に、「めでたさも中ぐらい」になった心地がする。(完)
(「東海道歩き旅・三河国編」は、1月10日から再開します)






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お正月・丸餅と角餅

2022-01-04 | Weblog


 近頃は、お正月だからと言って格段の事をするわけでもなくなった。
それでも、年末の掃除ぐらいは一年の埃を落とそうと、普段よりはやや
丁寧に・・、その程度を目指し何とか頑張って精を出したりはしている。



 掃除を終えれば、注連飾りや鏡餅を細やかに飾り、お正月を迎える習
慣は今も昔も変わりなく続いているが、その中身はと言うと、昔とは大
きく様変わりしている。
近頃では、玄関先に注連飾りを飾らないお宅が確実に増えているようだ。



 嘗ては神様が宿る場所に注連飾りを飾り、そこに神様が留まって欲し
いとの願いを込めたものだが、何時しかそんな思いは薄らいでいる。

 一頃は、マイカーにまで下げたものだが、今では殆ど見なくなった。
竈なら火の神様をお迎えするのだが、IHにはどうもそぐわない。
我が家でも何時の頃からか注連飾りは、僅かに玄関だけになっている。



 カビの来た鏡餅を金槌で叩き割る苦労は、何時頃からかなくなった。
スーパーやホームセンター等の店頭に並ぶ、真空パック入の餅に置き
換わって既に久しいからだ。
三方まで付いているから、箱から取出すだけで直ぐに飾ることが出来、
手間も掛からないし、何より青カビで困ることが無い。

 因みにこの特殊パックに入った餅が市場に出回り始めたのは、今か
ら40年ほど前の事らしい。



 後年、岡山に住むようになって、雑煮の「丸餅」には驚かされた。
何分にもこれまで鏡餅以外は、雑煮も焼餅も全て四角と思い込んでいた。

 この「角餅」と「丸餅」は、関ヶ原を境にほぼ二分されていると言う
から面白い。当然「のし餅」を「角餅」にする作業も無くなった。
丸めたものも角餅も、特殊パック詰めで売られていて、今ではどちらも、
どこででも、年中手に入る。(続)
(「東海道歩き旅・三河国編」は、1月10日から再開します)





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お正月・迎春準備

2022-01-01 | Weblog
「めでたさも 中ぐらいなり おらが春」(一茶)



 お正月を迎えても、一向に嬉しさを感じなくなって、既に久しい。
新年であっても、ごく普通に、何時もと変らぬ朝を迎えている。
とは言え、兎にも角にも、こうして大過なく息災で迎えられて嬉しくな
い筈はないが、それでもお正月だから特別に「めでたい」という感覚は
なくなっている。



 遠い子供の頃の記憶を辿ってみる。
元々年末に餅を搗く習慣はなかったが、それでも近所の菓子屋に注文を
して搗いて貰った鏡餅に、裏白や昆布、干し柿、橙などを添え三方に乗
せ床に飾っていた。
同時に届けられる平たく伸ばした「のし餅」を、硬くならないうちに四
角い「角餅」に切り分けるのは子供の仕事であった。



 年末に行われる恒例の「煤払い」は、古来より宮中で行われる大掃除
である。
12月の13日に行われることが多く、この日を「正月の事始め」として、
正月を迎える準備をする日とされていた。
これを受け、神社や寺、官公庁等、日本中で大がかりな煤払いが行われ、
これは今でもニュースで目にすることも多い。



 昭和の頃には、まだ庶民の間にもこの伝統は、年末の大掃除として引
き継がれていた。ほぼ町内単位で、畳まで上げ埃を払うと同時に、畳の
下に敷く新聞紙を取り替えていた。
子供の頃、これらの作業を一斉に行っていた記憶が、微かに残っている。
(遠い昔の事で定かな記憶は無く、春先の頃の事だったかも知れない。)



 そんな習慣も何時しか廃れて久しいが、それでも昔の年末には、大掃除
とは行かないが、中掃除程度の事は行ってきた。
終われば仏壇や神棚にも鏡餅を、玄関や勝手口トイレ等に注連飾りをして、
小松の枝に熨斗紙を巻いた松飾りを、門口の柱に釘で打ちければ迎春準備
は完了であった。(続)
(「東海道歩き旅・三河国編」は、1月10日から再開します)


(写真:岡山後楽園のお正月 今年の丹頂鶴放鳥は中止になりました)



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