街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
なんじゃもんじゃの杜
上記内容から推測すると、ここでいう「なんじゃもんじゃ」は「ヒトツバタゴ」のことだと思われます。写真はヤサシイエンゲイより
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
落合の石畳
落合宿と馬籠宿を結ぶ中山道の峠。全長840mの石畳の道沿いには一里塚や休憩所も設けられており、多くの旅人で賑わった中山道の面影が復元されている。また、峠から馬籠に向かって10分ほど歩くと、島崎藤村の筆跡で刻まれた是より北木曽路の碑も立っている。るるぶ.comより
本文 cosmophantom
街道ウォーク>旧中山道>馬籠宿~大井宿(恵那駅)
2012年10月7日 15回目
新茶屋の一里塚(83里)
岐阜県中津川市落合新茶屋
一里塚とは慶長九年(1604)二月、徳川秀忠が諸街道を改修する際、日本橋を起点に東海道・中山道・甲州道中などの各街道の一里ごと(約三・九km)に築かせた塚のことです。これは街道の左右に「方五間」(約九・一m四方)の塚を築き、榎か松を植え、旅人に距離を知らせ、また休息の場でもありました。 新茶屋の一里塚は天保~安政時代(1830~1860)には立木は右(江戸より京)に松、左は無しでしたが、今回、整備にあたり右に松、左に榎を復元しました。 平成六年二月 文化庁 岐阜県 中津川市
街道の両側に「一里塚」が昔の姿で残っている。江戸幕府は街道整備の一環として一里を三十六町と定めて、一里ごとに道の両側に土を盛って塚を築き、塚の上には榎または松を植えて、旅の行程や駄賃・運賃の目安とした。現在中山道ではほとんどが失われており貴重な遺構である。
本文 ☆cosmophantom