街道ウォーク>旧中山道>大井宿(恵那駅)~御嵩宿(駅)
2012年11月16日 16回目
紅坂一里塚(恵那市武並町)89里
旧中山道を藤深萱から、東へ坂を登ったところにある。槙ヶ根の一里塚より少し小型である。この付近は旧中山道の面影がよく残っている。江戸から89里、京都から45里、南北両塚とも松が植えてあったという。 え~な~ココより
▲ 左塚 ▼
▲ 右塚 ▼
本文 cosmophantom
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2012年11月16日 16回目
乱れ坂
▲ 乱れ坂石碑
大井宿から大湫宿までの三里半(約14Km)には、西行坂や権現坂など数多くの坂道があり、全体をまとめて十三峠という。乱れ坂も十三峠の一つで、坂が大変急で、大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女の人の裾も乱れるほどであったために「乱れ坂」と呼ばれるようになったという。このほかに「みたらし坂」とか「祝い上げ坂」ともいう。坂のふもとの川を昔は乱れ川といい、石も流れるほどの急流であったという。ここに飛脚たちが出資して宝暦年間に長さ7.2m、幅2.2mの土橋を架けた。この橋は「乱れ橋」あるいは「祝橋」といい、荷物を積んだ馬(荷駄)1頭につき2文ずつを徴収する有料橋のときもあったという。 平成15年3月 恵那市教育委員会
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2012年11月16日 16回目
首なし地蔵
この地蔵様は宝暦六年(1756)地元(武並町美濃)の人たちが、旅行者の道中安全を祈って立てたものである。その後地蔵様は、下街道ぞいの丘の上に移され、春の桜の頃に地元の人たちが集まって、盛大な祭典を行っている。この地蔵様にはこんな話が残っている。昔、二人の中間(ちゅうげん)が、ここを通りかかった。夏のことで汗だくであった。「少し休もうか」と松の木陰で休んでいるうちにいつの間にか二人は眠ってしまった。しばらくして一人が目覚めてみると、もう一人は首を切られて死んでいた。びっくりしてあたりを見回したがそれらしき犯人は見あたらなかった。怒った中間は「黙って見ているとはなにごとだ!」と腰の刀で地蔵様の首を切り落としてしまった。それ以来何人かの人が首をつけようとしたが、どうしてもつかなかったという。
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2012年11月16日 16回目
姫御殿跡
ここを祝峠といい、周囲の展望がよいので、中仙道を通る旅人にとってはかっこうの休憩地だった。この近くに松の大木があり、松かさ(松の子)が多くつき、子持松といった。この子持松の枝越しに馬籠(孫目)が見えるため、子と孫が続いて縁起がよい場所といわれていた。 そのためお姫様の通行のときなどに、ここに仮御殿を建てて休憩されることが多かった。文化元年(1804)十二代将軍家慶のもとへ下向した楽宮(さぎのみや)のご通行ときは、六帖と八帖二間の仮御殿を建てた。文久元年(1861)十四代将軍徳川家茂のもとへ下向した和宮のご一向は、岩村藩の御用蔵から運んだ桧の無節の柱や板と白綾の畳を敷いた御殿を建てて御休みになった。地元の人たちは、この御殿は漆塗りであったといい伝え、ここを姫御殿と呼んでいる。
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2012年11月16日 16回目
下街道(槙ヶ根追分)
下街道(したかいどう)は、日本の街道である。江戸時代に中山道と名古屋城下を結んだ脇往還で、善光寺道、釜戸筋、内津道、名古屋道、伊勢道とも呼ばれた。
中仙道を上街道といい、ここで分かれて下る道を下街道と呼んだ。下街道は、竹折・釜戸から高山(現土岐市)・池田(現多治見市)を経て名古屋へ行く道である。この道は途中に内津峠の山道があるが、土岐川沿いの平坦地を進み、付近には人家も多い。そのうえ名古屋までの距離は上街道より4里半(約18キロ)近かった。そのため下街道は一般旅行者に加えて商人や伊勢神宮の参拝者も多く大変にぎわった。しかし幕府は中仙道の宿場保護のため下街道の商人荷の通行を禁止し、尾張藩も厳しく取り締まったが徹底することができず、幾度も訴訟裁定を繰り返した。
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2012年11月16日 16回目
槙が根立場跡
江戸時代の末頃ここには榎本屋・水戸屋・東国屋・中野屋・伊勢屋などの屋号を持つ茶屋が9戸あった。そして店先にわらじを掛け餅を並べ、多くの人がひと休みして、また旅立って行ったと思われる(旅人の宿泊は宿場の旅籠屋を利用し、茶屋の宿泊は禁止されていた)。これらの茶屋は、明治の初め宿駅制度に変わり、脇道ができ、特に明治35年大井駅が開設され、やがて中央線の全線が開通して、中山道を利用する人が少なくなるにつれて、山麓の町や村へ移転した。 そして今ではこの地には茶屋の跡や古井戸や墓地などを残すのみとなった。
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2012年11月16日 16回目
西行の森(桜百選の園)
中山道沿いの西行の森にあり、100種類の桜が植えられ、4月上旬から5月上旬には多種多様な桜の花が咲き乱れます。
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