2012年10月7日 岐阜県中津川市
落合宿の街並み
岐阜県中津川市落合
本陣は江戸時代に焼け、その後に再建された。立派な門が人目をひき、土蔵造りの母屋がある。向かいには脇本陣があり、往時をしのぶ家並みが残る。中山道の美濃路最後の宿場だった。十曲峠へ登る道は中山道だ。石で山道を舗装した石畳があり、登りつめると島崎藤村筆の「是よ里(り)北 木曽路」の碑や芭蕉の句碑「送られつ 送りつ果(はて)は 木曽の穐(あき)」がある。藤村の出生地馬籠宿(元 山口村)はここから約3km。近くに落合峡が広がり、桜や紅葉が美しい。
▲落合宿高札場跡
▲上町の秋葉様の常夜灯
宿場通りには、秋葉様の常夜燈が4基あり、戸ごとを回る当番により灯をともし防火を祈ってきた。寛政4年(1792年)12月に建てられたが、明寺13年(1880年)の道路整備の際、3基は他所に移された。この1基だけが道の片隅に寄せられ往時の姿を留めている。 落合まちづくり推進協議会
▲落合宿本陣跡
井口家の本陣は、中山道の中でも当時の姿を留めている希少の建物であり、国の史跡指定を受けている。明治14年(1881)大規模な修理がなされ、土蔵造瓦葺一部二階建に建替えられたが、内部は手を加えずに昔のままで、火災への配慮から土蔵造りにしたもので、壁の厚さは22cmもあるとのことである。中津川市ホームページより
▲落合宿脇本陣跡
本陣と街道を挟み、塚田家の脇本陣がある。現在の建物は、建て替えられ新しくなっているが、『大概帳』には、「門構え玄関なし建坪凡そ90坪(300㎡)」とある。山村方の庄屋・問屋を勤めていた。庄屋・戸長・村長を勤める家柄で、この村の昔を記した『塚田年鑑』他貴重な資料が伝わっている。中津川市ホームページより
▲ 善昌寺の「門冠の松」
この松は、創建当時の山門を覆っていたことから門冠の松と呼ばれている。道路新設拡巾、寺の移転等で根が痛めつけられてきたのか、凡そ450年を経ているといわれているが、さほど大きくなく、宿場の入口に格好の風采を添えている。
▲ 落合の枡形
落合宿は、東入口横町と西入口田中の所で、道を直角に曲げて作られており、これを「ますがた」といっている。当時は宿駅そのものを一つの城塞として考え、宿内の見通しをさえぎる手段、即ち死角を造成したものであると伝えられている。宿場には、どちらか一方の入口にあるのが普通であるが、落合宿は東西の両入口にあったと考えられる。中津川市ホームページより
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