コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

むちん橋~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-15 13:57:50 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

むちん橋

▲無賃橋北詰信号

 

天保のはじめ、彦根藩は増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪、藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに費用を広く一般の人々から募らせ、橋をかけることを命じた。当時、川渡しや仮橋が有料であったのに対し、この橋は渡り賃をとらなかったことから「むちんばし」と呼ばれた。 高宮街づくり委員会

 

 

 

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円照寺(滋賀県彦根市高宮町)~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-15 13:47:19 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

円照寺

滋賀県彦根市高宮町

應七年(1498)、高宮氏の重臣、北川九兵衛が剃度して釈明道となり仏堂を建立したのが起源。元文五年(1740)には火災で本堂は焼失したが、九年の歳月を費やし再建された。境内には、明治天皇ゆかりの「止鑾松」と呼ばれる松の木(二代目)や老紅梅の垣の中に徳川家康が腰掛けたとされる「家康腰懸石」がある。 高宮街づくり委員会

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脇本陣跡・本陣跡~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-15 07:26:37 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

脇本陣跡・本陣跡

▲脇本陣跡

江戸時代高宮宿には二軒の脇本陣があり、その一つがこの地におかれた。門構、玄関付き、間口約14m、建坪約244mであったという。門前は領主の禁令などを掲示する高札場になっていた。ここの脇本陣役は道中奉行の支配下にあり慶長十三年(1608)からは人馬の継立、休泊、飛脚、街道の維持管理を行う問屋を兼ねており問屋場とも呼ばれていた。 高宮街づくり委員会

 

▲本陣跡▼
 

江戸時代の参勤交代により大名が泊まる施設(公認旅館)を各宿場に設けたのが本陣である。構造も武家風で、玄関・式台を構え、次座敷・次の間・奥書院・上段の間と連続した間取りであった。高宮宿の本陣は、一軒で門構え・玄関付で、間口約27m、建坪約396㎡であったという。現在では表門のみが遺存されている。 高宮街づくり委員会

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高宮の様子1~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-15 07:26:37 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

高宮の様子1

 

 

▲芭蕉の紙子塚▼

 

 

たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子

貞享元年(1684)の冬、縁あって小林家三代目の許しで一泊した芭蕉は、自分が横になっている姿の絵を描いてこの句を詠んだ。紙子とは紙で作った衣服のことで、小林家は新しい紙子羽織を芭蕉に贈り、その後、庭に塚を作り古い紙子を収めて「紙子塚」と名づけた。 高宮街づくり委員会

 

 

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多賀神社一の鳥居~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-15 07:07:30 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

多賀神社一の鳥居 (高宮の大鳥居)

▲この鳥居の先に多賀神社

 

中山道と多賀みちの分岐点に立つこの鳥居は、多賀大社一の鳥居で、寛永十二年(1635)に建立されたもの。柱間は約8メートル、高さは約11メートルあり、県の文化財に指定されている。鳥居建立工事は、多賀町四手の山中から花崗岩を切り出し、足場は妙蓮寺の裏あたりから階段式に高く土嚢を築いたといわれている。 高宮街づくり委員会

 

多賀神社の門前町であり、中山道で二番目の大きな宿場だった高宮宿には高宮上布という特産の麻生があり、高宮藩主も着ていました。今それが復活しようとしています。

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