コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

一里塚の里石畑~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-21 19:02:58 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

一里塚の里石畑

▲石畑は高宮と愛知川との間の宿なんだ

 

私たちの石畑の歴史は古く平安時代後期にまでさかのぼります。1185年(文治元年)源平の争乱の中、屋島の合戦で「弓矢の名手」として名を馳せた那須与一宗高の次男石畠民部大輔宗信が、この辺りの豪族であった佐々木氏の旗頭として、那須城(城跡)を造りこの地を治めていました。1239年(延応元年)男山八幡宮(京都‥石清水八幡宮)から勧請した八幡神社と1258年(正嘉二年)に創建した称名寺があります。
また、江戸時代後期には、街道の往来でにぎわう中山道・高宮宿と愛知川宿の間の宿(あいのしゅく)として発展し、立場茶屋(たてばちゃや)が設けられ旅人や馬の休息の場として栄えました。さらに、中山道の役場前交差点南(小字一里山)には、「一里塚」が設けられ、「高さ丈余の塚で、松が植えられてあって、塚の上から湖水が見えた」と、豊郷村史に記されています。 

▲上の表示版そばにあるこの塚はレプリカ!実際は先の豊郷町役場のところにあったとのこと。

 

 ▲豊郷町役場

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豊郷小学校旧校舎(ウォーリズ)~滋賀県犬上郡豊郷町大字石畑

2013-07-21 18:39:26 | 洋館

2013年6月8日 滋賀県

豊郷小学校旧校舎

滋賀県犬上郡豊郷町大字石畑

中山道の石畑と四十九院の間に、白鷺が羽を広げたような洋風建築の豊郷小学校旧校舎群が見えます。この校舎は、昭和12年一人の近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、当時は東洋一の教育の殿堂と言われました。
建築家ウィリアム・メレル・ウォーリズが手がけた建物

 

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豊郷小学校旧校舎(滋賀県犬上郡豊郷町大字石畑)~旧中山道を歩く(21回目)

2013-07-21 18:39:25 | 旧中山道ウォーク

街道ウォーク<旧中山道<高宮宿(駅)~武佐宿(駅)
2013年6月8日 21回目

豊郷小学校旧校舎

滋賀県犬上郡豊郷町大字石畑

中山道の石畑と四十九院の間に、白鷺が羽を広げたような洋風建築の豊郷小学校旧校舎群が見えます。この校舎は、昭和12年一人の近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、当時は東洋一の教育の殿堂と言われました。
建築家ウィリアム・メレル・ウォーリズが手がけた建物

 

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