コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

八幡堀~滋賀県近江八幡市

2013-08-08 15:26:21 | 町並み

2013年7月19日 滋賀県

八幡堀

滋賀県近江八幡市

八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える原因となった町の一大動脈です。近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せたといいます。昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路でしたが、戦後は陸上交通の発展によって廃れました。堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えています。日牟禮八幡宮の大鳥居をくぐったところに、堀に白雲橋がかかり、橋からは、かつて全国各地から送られてきた物産を一時保管した土蔵が見られます。近年になって、観光名所として整備され、船着き場などが復元されました。

 

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西川庄六邸~滋賀県近江八幡市

2013-08-08 10:02:50 | 建築物(洋館以外)

2013年7月19日 滋賀県

西川庄六邸

滋賀県近江八幡市

2代目西川利右衛門のの子「庄六」を初代とし、蚊帳・綿・砂糖・扇子などを商いました。3代目の頃になると、江戸日本橋4丁目にも出店し、九州島津藩指定御用商人になるなど西川利右衛門に次ぐ豪商となりました。8代目は文人墨客との関わりも深く、一燈園「西田天香」氏らとの交流もありました。
現在も、東京、大阪、京都に本支店を持つ「メルクロス株式会社」として活躍中です。当建物は江戸中期の建物で間口は13.0m、奥行は14.9mあります。左側に座敷部分が張り出し、他にも「でみず間」「化粧間」「板塀」「表土蔵」などがあるたいへん規模の大きい町屋です。

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森五郎兵衛邸~滋賀県近江八幡市

2013-08-08 10:02:46 | 建築物(洋館以外)

2013年7月19日 滋賀県

森五郎兵衛邸

滋賀県近江八幡市

初代五郎兵衛は、伴傳兵衛家に勤め、別家を許され、煙草や麻布を商いました。やがて、呉服・太物など取り扱い商品を増やし、江戸日本橋や大阪本町にも出店するなど活躍しました。「昭和6年:1931年」村野藤吾設計により東京日本橋室町に地上7階の「近三ビル」(屋号:近江屋の「近」、三左衛門の「三」より命名)を建築し、現在も近三商事として健在です。なお、市立資料館の一部である歴史民俗資料館は森家の控宅で、昭和54年に市へ寄贈されたものです。 

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旧伴家住宅(市指定文化財)~滋賀県 近江八幡市新町2丁目

2013-08-08 10:02:45 | 建築物(洋館以外)

2013年7月19日 滋賀県

旧伴家住宅(市指定文化財)

滋賀県 近江八幡市新町2丁目

今に残る旧伴家住宅は7代目伴庄右衛門能尹が伴庄右衛門家本家として、文政10年(1827)より天保11年(1840)の十数年をかけて建築したものですが、明治時代になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校と変遷しました。戦後は近江兄弟社図書館として使用され後に近江八幡市立図書館となり、移転に伴い平成9年にその役目を終了しました。

 

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近江八幡市立歴史民俗資料館~滋賀県近江八幡市新町2丁目

2013-08-08 10:02:40 | 建築物(洋館以外)

2013年7月19日 滋賀県

近江八幡市立歴史民俗資料館

滋賀県近江八幡市新町2丁目

郷土資料館は、かつて海外で活躍した近江商人・西村太郎右衛門邸跡に昭和49年(1974)3月1日に開設され、旧市街地の中心・新町通りに位置し、八幡商人のふるさととしての歴史を伝えています。
 建物は、明治19年(1886)八幡警察署として建設され、昭和28年(1953)大幅に改築され、現在の形になりました。この時改築の設計をヴォーリズ建築事務所が行っています。

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近江八幡(重要伝統的建造物群保存地区)~滋賀県近江八幡市

2013-08-08 10:02:39 | 重要伝統的建造物群保存地区

2013年7月19日 滋賀県

近江八幡 重要伝統的建造物群保存地区

滋賀県近江八幡市


 

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市立歴史民俗資料館

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市指定文化財 旧伴家住宅

今に残る旧伴家住宅は7代目伴庄右衛門能尹が伴庄右衛門家本家として、文政10年(1827)より天保11年(1840)の十数年をかけて建築したものですが、明治時代になって当時の八幡町に譲渡してから小学校・役場・女学校と変遷しました。戦後は近江兄弟社図書館として使用され後に近江八幡市立図書館となり、移転に伴い平成9年にその役目を終了しました。

 

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森五郎兵衛邸

初代五郎兵衛は、伴傳兵衛家に勤め、別家を許され、煙草や麻布を商いました。やがて、呉服・太物など取り扱い商品を増やし、江戸日本橋や大阪本町にも出店するなど活躍しました。「昭和6年:1931年」村野藤吾設計により東京日本橋室町に地上7階の「近三ビル」(屋号:近江屋の「近」、三左衛門の「三」より命名)を建築し、現在も近三商事として健在です。なお、市立資料館の一部である歴史民俗資料館は森家の控宅で、昭和54年に市へ寄贈されたものです。 

西川庄六邸 (非公開:県指定文化財)

2代目西川利右衛門のの子「庄六」を初代とし、蚊帳・綿・砂糖・扇子などを商いました。3代目の頃になると、江戸日本橋4丁目にも出店し、九州島津藩指定御用商人になるなど西川利右衛門に次ぐ豪商となりました。8代目は文人墨客との関わりも深く、一燈園「西田天香」氏らとの交流もありました。
現在も、東京、大阪、京都に本支店を持つ「メルクロス株式会社」として活躍中です。当建物は江戸中期の建物で間口は13.0m、奥行は14.9mあります。左側に座敷部分が張り出し、他にも「でみず間」「化粧間」「板塀」「表土蔵」などがあるたいへん規模の大きい町屋です。

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本願寺八幡別院~滋賀県近江八幡市

2013-08-08 10:02:24 | 神社・仏閣・教会

2013年7月19日 滋賀県

願寺八幡別院

滋賀県近江八幡市

地元・近江八幡で「御坊さん」と親しまれている本願寺八幡別院は、1558(永禄元)年に本願寺第11代顕如上人が江州蒲生野に創建された金台寺を前身としています。1580(天正8)年に織田信長の寺地寄進により安土城下へ、1592(文録元)年に豊臣秀次の寺地寄進により八幡城下、現在の地へと移されました。その後、1876(明治9)年に八幡別院と改称され、今日に至っています。現在の本堂は1716(享保元)年、表門は1767(明和4)年、裏門は1782(天明2)年、鐘楼は1825(文政8)年にそれぞれ建立され、いずれも滋賀県有形文化財の指定を受けています。別院周囲には堀が廻らされ、城郭のような風情を残しています。

▲表門:滋賀県指定有形文化財

 

▲鐘楼:滋賀県指定有形文化財

 

 ▲裏門:滋賀県指定有形文化財▼

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池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築)~滋賀県近江八幡市

2013-08-08 10:02:23 | 町並み

2013年7月19日 滋賀県

池田町洋風住宅街(ヴォーリズ建築)

滋賀県近江八幡市

ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、アメリカ合衆国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。 建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社の創立者の一人としてメンソレータムを広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。よく「宣教師」と紹介されるが、彼はプロの牧師ではなくキリスト教徒伝道者である。讃美歌などの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。

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