2014年7月30日 群馬県
富岡製糸場
群馬県富岡市富岡
富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化 のために最初に設置 した模範器械製糸場です。江戸時代末期に鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始めました。当時最大の輸出品は生糸でした。輸出の急増によって需要が高まった結果、質の悪い生糸が大量につくられる粗製濫造問題がおき、日本の生糸の評判が下がってしまいました。明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進めました。そのための 資金を集める方法として、生糸の輸出が一番効果的だと考えました。そこで政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、 洋式 の繰糸器械を備 えた模範工場をつくることにしたのです。 富岡製糸場ホームページより
東繭倉庫
繰糸所
検査人館
男子寮
女工館
日本人の工女に、器械による糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性講師の住居として建てられました。ベランダの天井には板が格子状に組まれ、当時の日本建築にはない特徴です。
変電室
診療所
昭和15年に建てられた3代目の診療所
▲?
ブリュナ館
1873年建築、フランス人指導者のポール ブリュナが暮らしていた住居
煙突
昭和14年(1939)建設 高さ37.5m 直径2.5m 現在の煙突は昭和14年に建設された鉄筋コンクリート製のものである。
明治5年には高さ36mの鉄製の煙突が建てられた。現在の煙突とは異なる。4.4mのレンガ積みの上に、高さ1m 直径1.3mほどある鉄製の筒を積み上げ、四方に鎖を張って支えていた。この初代の煙突は、明治17年に暴風によって倒壊した。高い煙突が設けられたのは、石灰を燃やす際に発生する煙対策である。明治時代に使用された鉄製の煙突基部が、現在は井戸の囲いとして残されている。
▲?
▲平成26年2月14・15日の大雪によって半壊した乾燥場
cosmophantom