街道ウォーク>旧日光街道>幸手(駅)~野木駅
2014年8月16日 目指すは日光東照宮 3回目
幸手権現堂桜堤
埼玉県久喜市小右衛門
江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として築かれたものと言われ、かつては6kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていた。また、1876年(明治9年)に明治天皇が東北巡幸の際に立寄ったことから、行幸(みゆき)堤とも呼ばれるようになった。
清保堂:耳の病気に悩む人々の信仰を集め、治った人々は耳の通りがよくなったということで、錐を奉納する風習がありました。
巡礼の碑:人身御供となった巡礼親子を供養するために建立された碑
本文 cosmophantom
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2014年8月16日 目指すは日光東照宮 3回目
本来の街道をそれ幸手権現堂桜堤へ
本来の街道からそれ幸手権現堂桜堤へ 右へ進む
本文 cosmophantom