2014年10月5日 愛媛県
湯築城跡 100名城
愛媛県松山市道後町
湯築城は、風早郡河野郷から出た、伊予の豪族河野氏が道後に築いた城である。源頼朝と結び勢力を伸ばしたが、承久の変(1221年)で没落した河野通信、弘安の役(1281年)の活躍で勢力を回復した河野通有と浮枕を繰り返した河野氏は、通盛の代に伊予国守護に任じられ、全盛期となった。この通盛が、建武年間(1334年~1338年)に築城した湯築城は、江戸時代の『湯築古城図』によれば、内堀と外堀をもち、丘陵頂部の「本壇」と北方の「杉の壇」、東方の「中壇」の郭や家臣居住空間等を構えた、堂々とした平山城である。築城後も、河野氏は諸国との戦いや内紛をくりかえし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、城もやがて廃城となった。
※ 残っているのは堀と土塁
▲土塁
▲復元された武家屋敷
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