2016年9月12日 鹿児島県
仙巌園2016
鹿児島県鹿児島市吉野町
島津家第19代光久が1658年に島津家の別邸として造った庭園です。雄大な桜島と錦江湾をそれぞれ築山と池に見立てた壮大なスケールの借景 が美しく、天下の名園といわれ、1958年に国の名勝に指定
島津家水天渕発電所記念碑
▲水天渕発電所:説明板より転写
▼正門
▼獅子乗大石灯籠
▼御殿
明治時代に29代島津忠義が本邸として使用していた
▲桜島は雲に覆われている
▼錫門
江戸時代の正門が、この朱色の門です。特徴は屋根、瓦ではなく鹿児島特産の錫で葺かれていることから錫門(すずもん)とよばれます。朱色の門は非常に高い身分の人しか使うことを許されていませんでした(有名な東大の赤門は、加賀百万石前田家の門です)。そのため、江戸時代にこの門を通ることができたのは、藩主とお世継ぎだけだったそうです。
▼望嶽楼
望嶽楼は、19代光久のときに琉球国王から献上されたと伝わる 中国風のあずまやです。床には秦の阿房宮の床瓦を模した273枚の磚(せん)とよばれるタイルがしきつめられ、内部の壁には王義之の書を写したといわれる額がかけられています。 この建物は、歴代の藩主が琉球の使者と面談するときなど に使われました。
床のタイル(?)には模様が刻まれている
▼千尋巌
御殿裏山の山腹には巨大な岩があり、そこに「千尋巌(せんじんがん)」という白い3文字がきざまれています。3文字の大きさは、上下で11メートル。文化11(1814)年に、27代斉興がのべ3,900人の人夫をつかい、3カ月かけて作らせました。白い色は胡粉(ごふん)という、貝がらをこまかく砕いた粉をぬりかためたものです。このように岩に文字をきざんでそれに着色するのは、中国ではよく見られるものですが、日本の庭園ではほかに例を見ません。薩摩が中国文化の影響をつよく受けていたのがよく分かりますね。
▲克灰袋
鹿児島県の桜島周辺で一定量以上の降灰がみられた際に、自治体から一般家庭に配布されるポリ袋。集めた灰を詰めて指定の場所に出すと、無料で回収される。
▼反射炉遺構
2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」。その重要な構成資産のひとつが、仙巌園内にある反射炉遺構です。もともとは上に炉や煙突があったのですが、それらは薩英戦争後になくなって、いま残っているのは基礎部分だけです。
鉄製150ポンド砲
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