2020年1月30日 【小倉・門司・下関】 福岡県
飯塚(福岡県飯塚市)にて
飯塚:明治時代に入ると筑豊地域では石炭産業が栄え、日本のエネルギー源として発展しました。明治30年頃から機械化が徐々に進み、炭鉱夫も増えて、石炭も大量に掘られ、運送方法も、船から鉄道に変わりました。北九州から鉄道を延ばし汽車で運ぶようになったのです。人口は多いときで12万人を超えるほども集まって、いろんな文化も発展しました。たとえば炭坑節は、炭坑で作業する人達が歌ってた歌です。
多くの人がいたので娯楽として、映画館や劇場もたくさんでき、映画館は15館もあり、嘉穂劇場は、今でも全国的に有名です。
嘉穂劇場は、大正時代からある歌舞伎劇場で、現在でも営業を続けているのは全国でもこの劇場だけです。
炭坑時代の名残として、ボタ山があります。これは、石炭と一緒に掘り出された石や土を積み上げてできた人工の山です。
▲ボタ山
地元のからの話では、以前は沢山あったが、今残っているのはこのボタ山だけだそうです。今は樹木がはえ普通の山と変わらない姿となっています。
▼嘉穂劇場
▼旧伊藤伝右衛門邸
▼飯塚駅(JR九州)筑豊本線(福北ゆたか線) 福岡県飯塚市菰田西
▲駅ホームからもボタ山が見える
☆☆
九州の鉄道車両は楽しいゾ!
▼813系 DENCHA
▼813系
▼817系
▼特急「SONIC」 883系
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