2014年11月7日 東京都
高幡不動尊金剛寺 重要文化財
東京都日野市高幡
真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三大不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。その草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まる。
高幡不動尊金剛寺ホームページより
▼ 仁王門 重要文化財
仁王門は当初楼門として計画されましたが、途中で計画変更され上層の主要部を覆うような形で屋根がかけられ近年まで外観は単層でした。昭和34年解体復原修理の際楼門として復原され屋根も銅板葺きに変えられました。仁王尊は室町時代の作、楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆 高幡不動尊金剛寺ホームページより
▲ 五重塔
満5年の歳月をかけて竣工した五重塔は、塔高39.8m、総高45m、和様、三手先出組、青銅瓦葺、平安初期の様式を模した美しい塔です。 高幡不動尊金剛寺ホームページより
▼ 不動堂 重要文化財
康永元年(1342年)山中より移建。 不動堂は清和天皇に勅願によって、慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立しましたが、建武2年(1335年)8月4日」夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在のところに移建した堂で東京都最古の文化財建造物です。
▲ 奥殿 ▼
▼ 上杉憲顕の墳
上杉憲顕は氏憲の子、享徳4年正月(1455年)足利成氏の軍と立川河原に会戦、深手を負い高幡寺に入り自刃した。自然石はその墓標で、俗間信仰に茶湯石(服石)と言い、百か日忌払い供養の伝承がある。(鎌倉大草紙) 高幡不動尊金剛寺ホームページより
▼ 山門
▼ 金剛寺旧五部権現社殿
金剛寺の境内鎮守として創立されたもので、寺伝によると、源頼義が奥州反乱鎮圧に際し、ここに八幡社を勧請し、のちに稲荷、丹生、高野、清瀧権現を合祀して五部権現と称するようになったと伝えられます。この五部権現社は、現存する棟札により、暦応三年(一三四〇)に創建され、寛文一一年(一六七一)に再建された江戸時代前期の社殿として類例の少ない貴重な文化財です。建物の構造は、一間社流造、銅板葺、向拝付きで、大きさは桁行一・五二m、梁間一・三〇mあります。木部全体に朱の漆が塗られ、彫り物の刻線には墨、さらには向拝蟇股には群青などの鮮やかな彩色が施されています。社殿に安置されていた五基の神牌には、暦応三年(一三四〇)二月二八日造の銘があり、本地仏の垂迹神の名を刻し、国の重要美術品に認定されています。なお、五部権現社殿は奥殿建設工事に伴い、平成八年大日堂前に移築されました。 平成二三年三月 建立 東京都教育委員会掲示より
▼ 大日堂
大日堂は高幡山の総本堂です。 江戸時代安永八年の大火で焼失し、長く仮本堂のままでしたが昭和五十七年から五年の歳月をかけて根本改修工事が行われました。 新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています。又大玄関は桃山時代様式です。有名な鳴り龍天井や優れた彫刻群、幽玄な内陣荘厳等の鑑賞ができます。 高幡不動尊金剛寺ホームページより
▲ 大日堂 大玄関
▲ 文永(1271年)の板碑
▲ 土方歳三の像 ここは日野だから・・・
高幡不動駅
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